陸上10種競技の田上駿(25=陸上物語)が、来年のパリ五輪、25年世界選手権東京大会を目指して奮闘している。

「何としてでも、日本代表として、世界大会を戦いたい」

10種競技は過酷だ。2日間で10種目を行う。各種目の記録がスコアに換算されて、その合計点で競う。

1日目は100メートル、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400メートル。

2日目は110メートル障害、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500メートル。

最後の1500メートルを終えると、皆がトラックに倒れ込むほど。そして選手たちは抱き合い、肩を組んで、互いに10種目を完走した健闘をたたえあう。その王者は「キング・オブ・アスリート」と呼ばれる競技だ。

田上は、7日までの木南道隆記念で、自己ベストの7764点に迫る7674点をマーク。16年リオデジャネイロ五輪代表の右代啓祐らをおさえて、初優勝を飾った。

「当面の目標は、日本選手権(6月10、11日、秋田)で7800点以上を出すことです。そこをクリアすれば、優勝も近づく。アジア選手権やアジア大会の選考にかかってくる」

田上は兵庫・神戸市出身。やり投げ選手だった父の影響もあって、中1で陸上を始めた。京都・洛南高では8種競技で高校総体を連覇。順大、順大大学院でも腕を磨いてきた。20年には日本選手権3位に入った。

しかし大学院2年だった21年5月、右股関節を負傷した。けがが長引き、満足なシーズンを過ごせなかった。折しも、東京五輪が終わり、大学院の2年を終えるタイミングと重なった。

「僕の中では何とかなるかな、大学院の後も(競技を)やれるかなと思っていたが、現実問題として、そんなに簡単ではなかった。ツメの甘い、学生生活を過ごしてしまった」

22年2月になって、進路も、どこで競技をやるかも、決まらなかった。

そんな時、同じ10種競技で人気テレビ番組「SASUKE」でも活躍する伊佐嘉矩(よしのり、30)から言われた。

「いろんなところに相談して、プロという道でやる手もあるんじゃないか」

その言葉に、思い切って、プロアスリートという道を決断した。

「ただ、昨年度から『プロになります』といっただけでは、企業さんからお声がけいただくことはまずないので、いろんな方に相談して活動していった」

まずは、母校・洛南OBの応援を受けて、競技を続けることができた。

昨夏にはホームページを立ち上げてシーズンの予定や目標、ブログを発信。また支援も呼びかけている。

そして、今春に新しい出会いがあった。

通っていた治療院から紹介を受けて、業務用洗浄機を製造、販売する株式会社ショウワ(本社・兵庫県尼崎市)の本社を訪問した。

同じ兵庫県という縁もあった。同社から熱意、人間性などを評価されて、サポートを受けることになった。

東京五輪後のスポーツ界には、厳しい現実がある。

スポンサー契約の打ち切りや支援の大幅な減額。新たな支援企業が見つけられればいいが、そのまま競技を続けられないこともある。

田上を支援した同社は、女子ゴルフの石田可南子、ノルディック複合女子の中村安寿もサポートしている。アスリートの熱意や活動が社内に好影響を及ぼすことを期待している。そして「一期一会」を大切にして、長い付き合いを前提にしているという。

10種競技では、16年リオデジャネイロ五輪代表の中村明彦が、今月12日に現役引退を表明した。

新しい世代が飛び出す局面に入っている。

田上には、日の丸をつけて世界大会で戦うという目標がある。

「自分でもできると思っているし、そこはやります」

今後は日本、アジアの競技会をベースとして、まずは自己ベストを伸ばしていく方針だ。【益田一弘】

◆田上駿(たうえ・しゅん)1997年(平9)5月30日、神戸市生まれ。中1で競技を始めて、洛南-順大-順大大学院-陸上物語。14、15年に高校総体連覇、17年日本学生対校選手権(インカレ)優勝。日本選手権は20年、22年に3位に入った。得意な種目は110メートル障害。身長181センチ、体重75キロ。

陸上木南道隆記念で初優勝した10種競技の田上駿は、大阪本社を訪れて、今後の活躍を誓った(撮影・松野奈音)
陸上木南道隆記念で初優勝した10種競技の田上駿は、大阪本社を訪れて、今後の活躍を誓った(撮影・松野奈音)