水泳100メートルバタフライ51秒00の日本記録を持つ河本耕平(39=日本水泳振興会)が、引退レースで驚異の泳ぎを見せた。23日に新潟・長岡市ダイエープロビスフェニックスで行われた長岡市水泳協会親善公認記録会(短水路)で、シーズンベストの51秒01をマークした。大声援の後押しを受けながら、30年間の現役生活に終止符を打った。

驚きの顔が、喜びの顔に変わった。引退レースを泳ぎ終えた河本が電光掲示板のタイムを確認した。シーズンベストの51秒01がともっていた。他の泳者とは異次元の泳ぎを見せて、100メートルを泳ぎ切った。競泳ワールドカップ東京大会(9~11日=東京辰巳、短水路)で泳いだ51秒60(予選9位)を、現役ラスト・スイムで塗り替えた。「シーズンベストだったので自分自身、びっくりしている」。最高の形で現役生活の幕を引いた。

「最後は地元に、感謝の意を込めて泳ぎたかった」と話した河本は「最高の環境を準備してもらって、いい泳ぎかできた」と言った。入場してきたときに声援に向かって両腕を上げ、レース後も大歓声に水の中で両手を振った。09年の新潟国体で51秒00の日本記録を作った同じ会場で、同じ雰囲気が作られ、快泳を演じた。「たくさんの人たちに感謝したい」と言った。

9歳の時にジュニア・オリンピックに出場し全国デビューして以来、30年間も水泳界の第一線で活躍してきた。「挑戦と継続。そのスタイルを貫いてきた。環境や年齢や、どんな状況にも前向きに向かってきた」と、チャレンジの歩みを止めなかった。そんな河本が現役引退を決断したのは福井国体・成年男子200メートルリレーの第2泳者で4位入賞し、県のポイント獲得に貢献できたと感じた瞬間。「(引退の)さびしさ、後悔の気持ちより充実感と満足感の方が上回ったから」と話した。

「現役に全身全霊をかけてきたので、何をするか。何ができるか、を考えるために時間をおきたい」と河本の引退後は白紙だ。もちろん、水泳界のために30年間の現役生活で得た知識、経験を惜しみなく伝えていく構えだ。レース後の引退会見に同席した佐藤良夫・県水泳連盟会長(79)は、心に温めていたプランを明かした。「だれにも相談していないが、河本耕平杯という大会を県水連の大会の1つに加えられればいいな、と思っている」。日本記録保持者の河本の名前が、大会名として永久に刻まれる可能性が出てきた。【涌井幹雄】

◆河本耕平(かわもと・こうへい)1979年(昭54)10月6日生まれ、柏崎市出身。中越-中大。01年ユニバーシアード(中国)50メートルバタフライ優勝。02年アジア大会(韓国)100メートルバタフライ銀メダル。08年USオープン(米国)100メートルバタフライ優勝。11年北京ワールドカップ100メートルバタフライ優勝。13年東アジア大会では50メートル、100メートルバタフライと400メートルメドレーリレーで優勝し、大会最優秀選手。国体では100メートルバタフライ8度優勝。8月のパン・アメリカン・マスターズ(米国)で「35~39歳」の世界新記録53秒65を樹立。177センチ、70キロ。血液型A。