08年北京、16年リオデジャネイロ五輪女子52キロ級銅メダルで初出場の中村美里(29=三井住友海上)が初戦の2回戦で、18年世界ジュニア選手権78キロ超級金メダルの児玉ひかる(20=東海大)に敗れた。

中村は巧みな組み手とスピードある足技で、体重差53キロの児玉に対して積極的に攻撃。指導2を受けて延長戦に突入し、試合開始6分13秒に払い腰で優勢負けを喫した。「本気で挑戦する最後の大会として覚悟を持って臨んだが、自分の間合いが取れず、想像以上に対応出来なかった」。試合後、目を真っ赤にしてこう振り返った。

リオ五輪後の17年4月、「柔道以外の視野を広げたい」との理由で筑波大大学院に入学。スポーツ健康システムマネジメントを専攻し、12年ロンドン五輪女子57キロ級金メダルの松本薫さん(31)らを題材に「柔道トップアスリートの妊娠・出産」を研究した。昨年10月の福井国体以降は、本格的に修士論文の執筆に着手し、稽古は12月頃から週1~2日に激減した。論文提出を終えた2月から強度の高い稽古を始め、無差別対策として体重も増量させた。同じ所属で70キロ級世界選手権2連覇の新井千鶴(25)らと組み合い、鍛錬した。3月の東京都予選は8強入りして本戦の出場権を獲得。出場37人中、29歳の最年長で体重57キロの最軽量での挑戦となった。

「皇后杯(=全日本女子選手権)出場は、五輪金メダルと同じぐらい夢だった。(本戦出場が決まった瞬間に)夢はかなったけど、出るとなったら負けず嫌いな性格なので『勝ちたい』という気持ちが出た。正直、悔しい」

世界選手権を3度制し、五輪3大会に出場した中村は、全日本柔道連盟の強化指定選手も外れ、競技との向き合い方も変わった。「強化でトップを目指すだけが全てではない。柔道が好きな気持ち、その思いがある限り『一生現役』の気持ち。面白さも追求したい」。将来は指導者への道も模索しながら、平成元年生まれの29歳の柔道家が、平成最後の大舞台を終えた。