新型コロナウイルス感染拡大で東京オリンピック(五輪)は1年延期となった。選手が来夏の祭典で獲得を目指す五輪メダル。各競技でどのような歴史が刻まれてきたのか。「日本の初メダル」をひもとく。

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フェンシング初のメダルは太田雄貴が持ち帰った。08年北京五輪男子フルーレ個人、銀。この年の3月に同大を卒業後、無職で「ニート剣士」と呼ばれた男が歴史と人生を変えた。準々決勝で世界ランク1位ヨピッヒを破り、準決勝では前回アテネ団体金メンバーのサンツォに15-14で劇的勝利。決勝では敗れたものの今も歴代最高成績だ。8歳で剣を握ってから4300日以上も練習を休まない時期があった努力が実った。

1896年、第1回近代五輪から正式種目の伝統競技。日本には1868年(明元)に「片手軍刀術」として伝えられ、スポーツとしては1932年の岩倉具清による慶大、法大への指導から広まった。20年後のヘルシンキ五輪に初参加。64年の前回東京大会では男子フルーレ団体4位で、以来の宿願だった。第1回五輪の8競技の中で日本最後のメダル獲得でもあった。

決勝後の取材で「就職先募集中と書いて」と笑顔を見せていた太田は大会後、森永製菓に所属。強化体制が整い、09年には日本初の世界ランク1位に立った。12年ロンドン五輪では千田健太、淡路卓、三宅諒との団体戦で初の銀メダル。また新たな歴史を刻み、13年には東京2020大会の招致プレゼンターを務めて涙のガッツポーズで喜んだ。

16年リオデジャネイロ五輪の個人戦で初戦敗退後、引退。翌17年、31歳の若さで日本協会の会長に就任し「普及と東京五輪での悲願の金メダル獲得を両軸に活動する」と所信表明した。