1964年(昭39)の東京オリンピック(五輪)のバレーボール会場だった横浜文化体育館が老朽化に伴い、6日に閉館する。同館では金メダルに輝いた「東洋の魔女」、バレーボール女子日本代表が韓国とルーマニアにストレート勝ちした。2度目の東京大会が今夏開催されていれば、野球とソフトボールのパブリックビューイング会場として利用される予定だった。来夏に延期となった大会を待つことなく、58年の歴史に幕を閉じる。

横浜文化体育館は横浜港開港100年を記念し、スポーツと文化の普及振興を目的に62年5月に開館。東京五輪ではバレーボール男女の総当たりのリーグ戦計22試合が行われた。東京五輪で女子日本代表の中心選手だった井戸川(旧姓谷田)絹子さん(80)は同館での試合について「詳しいことは覚えていません」と言うが、タクシーで会場に向かう途中でメンバー同士で和気あいあいとした雰囲気になり、緊張が和らいだことは記憶しているという。

東京五輪の開催準備には今も語り継がれる逸話がある。10月4日までバスケットボール会場として利用され、同12日から始まるバレーボール競技に向けた準備が始まった。しかし、同6日には参加国が練習で使用するため、それまでに床を塗り替えることが必須だった。塗装と乾燥作業を徹夜で行い、なんとか間に合わせたという。宮田豊館長は「わずかな期間で2競技が行われるのは、今考えるとありえない」と当時の関係者の奮闘に思いをはせた。

収容人数は5000人。関内駅から徒歩4~5分とアクセスがよく、58年間でのべ2700万人以上が利用した。「プロレスの文体」「卓球の文体」「体操の文体」と親しまれた。石原裕次郎、美空ひばり、小田和正、BOφWY、ゆず、クイーン、スティービー・ワンダー、ボン・ジョビらの公演も開催された現在の建物は取り壊され、跡地には24年に横浜武道館のメインアリーナが新築される。

13日に行われる「お別れ施設見学会」は、参加者の募集初日に定員の300人に達する人気ぶり。宮田館長は「さまざまな人にとって特別な場所だったんだなと実感しています」と役目を終える施設を名残惜しんでいた。【平山連】