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今日の誕生日

町田樹(1990年)→Pick Up!

山田晋一(1999年)

日本の男子シングル選手。20年西日本選手権14位


Pick Up! 町田樹

「氷上の哲学者」と呼ばれた名スケーターが、31歳となりました。

生まれは神奈川県。3歳から千葉・松戸市のリンクで競技を始めました。広島市で育ち、岡山などでも練習。06年には全日本ジュニア選手権で優勝を飾りました。

シニア転向はバンクーバー五輪シーズンの09-10年。全日本選手権は4位で惜しくも五輪代表は逃しましたが、初出場の4大陸選手権で2位と存在感を示しました。11-12年シーズンからは米国を拠点とし、12年の中国杯でグランプリ(GP)シリーズ初優勝。13-14年シーズンからは大阪が拠点となりました。

勝負のソチ五輪シーズンは2年連続のGPファイナル出場を果たし、全日本選手権は2位。大会前には疲労で病院に運ばれましたが、フリーでは名プログラム「火の鳥」を演じきり「ここで自分に負けたら、死ぬまで後悔する。ここで後悔したら一生のしこりになる」と力を振り絞りました。

迎えたソチ五輪は5位入賞。ショートプログラム(SP)11位から巻き返し、銅メダルには1・68点差でした。「僕にとって最初で最後の五輪が終わった。この舞台に立てて、心から感謝します」。そう言って、胸を張りました。翌3月、自国開催だった世界選手権では2位に輝きました。

現役引退の意思表示はその年の暮れ。見る者にとっては、突然訪れた瞬間でした。12月28日、全日本選手権終了後の世界選手権代表発表。リンク上でマイクを握り、発した言葉に観客席から驚きの声が上がりました。

「突然ですが、ご報告があります。全日本をもちまして引退をすることを決断しました。4月より早大スポーツ科学研究科2年制に入学し、研究者を目指す強い気持ちをもっています。セカンドキャリアの道を切り開きます。心からありがとうございました」

20年10月からは国学院大の助教に着任。同年7月には日刊スポーツのインタビューに応じ、独自の視点からフィギュアスケートを見つめています。

インタビュー前編

インタビュー後編


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2020年10月9日
2020年10月9日

20年10月9日、2020東京フィギュアスケート選手権・ジュニア女子SPの演技をする中山夏帆。


今日の出来事

浅田真央が世界ジュニア2連覇を逃すも2位(2006年)

世界ジュニア選手権◇9日(日本時間10日)◇スロベニア・リュブリャナ

ジャンプの天才少女が、ジャンプのミスに泣いた。ショートプログラム(SP)2位から逆転優勝を狙った浅田真央(15=グランプリ東海ク)は、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)など3つのジャンプに失敗して得点を伸ばせず、女子史上初の2連覇はならなかった。SP1位で浅田と同じ15歳の金妍兒(韓国)がほぼ完ぺきな演技を見せ、シニアも通じて韓国フィギュア界初の世界一に輝いた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「くるみ割り人形」の音楽は、まだ前奏だった。逆転優勝を目指して最初に挑んだトリプルアクセルで、浅田は空中で体の回転を止めてしまった。まさかの1回転半。「一瞬だったので覚えていない。ちょっとびびったかな」。2連覇の夢は、わずか10秒で消えてしまった。

SP同様、前走者の金が好演技を見せていた。余計な意識がリズムを狂わせる。終盤2つの3-2回転連続ジャンプは、1つが後半1回転、1つは最初の1回転だけで終わった。「今季一番悪い出来。真央はジャンプだけで、ジャンプを失敗したら負けちゃうけど、向こうはスケーティングが上手だった」。悔しさから、目はかすかに赤かった。だが、初めて同年代につけられた24・19点差の大敗にも目をそらさず、敗因を自分なりに分析した。

「近ごろ、そんなに悔しい思いをしたことがなかった。小学校5年生くらいで(姉)舞に負けた時以来かな」と言いながらも、表彰台に乗る前には自ら右手を差し出して金を祝福した。「いいライバル。ずっと一緒にやっていくだろうし、お互いに頑張れれば」。来季はともに、シニアに専念する。10年バンクーバー五輪への長い戦いが幕を開けた。