徒然草は、鎌倉時代、吉田兼好が書いたとされる随筆で、序段はつとに有名だ。

つれづれなるままに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

現代口語にすれば、次のようになるのだろう。

ヒマなんで、パソコン(現代の硯かな)に向かって、思いついたまま、いろいろ書いてみた。そしたら、どんどんはまって、おもしろくなってきた。

テレワークが主流となった昨今、パソコンと向き合うことも多い。年齢も考えれば、世まい言や戯(ざ)れ言を、好き勝手に、時にはわきまえ、時には忌憚(きたん)なく、残しておこうと思う。お暇な方は、お付き合いいただければ幸いである。

私の担当競技の1つに、テニスがある。テニスは、なかなか「つれづれなるままに」とは行かない。通常なら、オフシーズンは11月中旬から12月下旬のわずか1カ月強。1年にわたって、世界各国を転戦する。これが、なかなかせわしない。男女で開催国が違えば、時差もバラバラ。日本男女の上位陣を追うだけでも大変だ。

テニスは、あえて国内の基盤を持たない。コンピューターではじき出される世界ランキングが軸であり、単体事業主のプロが主流の個人競技。錦織か大坂かという選択はあっても、日本か米国かという国の背景は、他競技に比べ薄い。

その個人が、世界を股に掛けて、優勝を目指し、世界ランキングの数字を上げていく競技だ。そこに巨額が渦巻き、ビッグ・ビジネスへと発展する最先端のスポーツだからこそおもしろい。

しかし、今回の新型コロナの前に、その基盤はもろくも崩れた。国境や州境を閉じ、ウイルスを遮断する対策は、すなわちテニス界の発想とは相いれない。戦争以外で初めて、ウィンブルドンは中止となり、ツアーは約5カ月ほど中断した。

国内で稼ぐ場はなく、多くの下位選手は干上がる。選手協会や国際連盟は、下位選手に対し、支援金を支出することで、何とかしのいできた。動き始めたのは、20年8月下旬の全米からだ。大会も選手も、あらゆる手を使い、開催にこぎ着ける。

今年の2月の全豪は、隔離のホテルの部屋から1歩も出られないとか、1人の感染者が出ただけで、ロックダウンとか、厳しい感染症対策が話題を呼んだ。そのため、経費がかかり、主催者は約80億円を超える歴史的な赤字を生んだと言われる。

それでも、大会を開催し、回していかなければ、テニスという競技は死んでしまう。国内にとどまるわけにはいかないのだ。必死に、生き残りをかけたテニスの挑戦が、21年から始まる。【吉松忠弘】