東京オリンピック(五輪)日本代表の吉田健人(28=警視庁)が、念願の初優勝へ、あと1勝とした。

五輪後、初の実戦となる日本一決定戦で2年連続の決勝進出。準決勝で、同じく五輪代表のストリーツ海飛(鹿児島クラブ)に15-13で競り勝って、徳南堅太(34=デロイトトーマツ)と頂点を争う舞台に駒を進めた。決勝は10月3日の都内のLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で行われる。

初の五輪を振り返ると、個人戦が33位、団体は初戦敗退の9位と不完全燃焼に終わった。競技初日に行われた個人戦は「特に独特な雰囲気にのまれた。体が硬かった。自国開催の中、特に個人戦が悔しい思いでいっぱい」と力を出せず、男子サーブル日本のエースとして自国開催の夢舞台に臨みながら、まさかの初戦敗退。キンテロ(ベネズエラ)に13-15で屈した。

4日後の団体戦では「雰囲気が分かったので硬さはなく、自分らしいフェンシングができた」と納得。ただ、チームとしてはエジプトに32-45で完敗した。体格差など世界で勝つことが難しい種目とはいえ、悔しい結果。大会後は2週間ほど休んで練習を再開し「何でやられたか弱点が明確に分かったので、意識して修正してきた。自分の強みであるスピードを意識しすぎて、動きが単調になってしまっていたので。今後はスピードを生かせるようなタイミング、技術を磨きたい」と見つめ直している。

その中で迎えた全日本。取りこぼすことなく決勝へ進み「2年連続(のファイナル進出)は一安心。五輪の反省を生かし、勝ちたい勝ちたい、と思いすぎないようにして」初の頂点に、もう1歩とした。「次の目標はパリ五輪」とはっきり24年大会を口にし「すぐ2年後に始まる代表選考レースが始まる」と、新型コロナウイルス禍の状況を見ながら前に進んでいく。

五輪後は、バレーボールVリーグ男子のFC東京で総監督を務め、コーチや分析担当として88年ソウル、08年北京の両五輪に出場した父清司さんとも話をし「幼少期から『最高の舞台だ』と聞いていた場所は、素晴らしく、国際大会とは違う雰囲気だったと感じました」。それを父と分かち合う最高の瞬間を味わうも「父からは『見ている方が緊張した。コロナで無観客だったので、ぜひ次は直接、五輪の舞台に立つ姿を見たい』と言われました。出るだけでなくメダルを取りたい」。次も日本のエースとして24年パリ五輪へ。まずは来月の決勝で初Vを成し遂げ、踏み台とする。【木下淳】