上田藍(37=ペリエ・グリーンタワー・ブリヂストン・稲毛インター)が「ラストレース」で7度目の優勝を果たした。今季限りで五輪を目指すエリートレベルの大会からの撤退を宣言している上田は、東京五輪代表不在のレースで圧倒的な強さを披露。2位を1分以上引き離し、2時間4分35秒でゴールした。

最後の最後まで笑顔だった。スイムを10番手であがると、バイクの第2集団を引っ張って第1集団に追いつき、得意のランのスタートでトップに立った。その後は独走でゴールした。新型コロナ禍で無観客。沿道にファンはいなかったが、いつものようにゴール前では「幻のファン」と笑顔でハイタッチをした。

ケガもあって選考基準を満たせず、4度目の五輪出場を逃した今年6月「パリ五輪は目指さない」と宣言した。30位となった9月のハンブルク大会で世界シリーズへの挑戦を終え、W杯に出場するためトップ選手が欠場した今大会を「区切りのレース」に定めた。

今季の世界ランキングは30位で日本女子最高位。周囲の「まだできる」「パリも狙える」の声にも、本人は「違うステージでトライアスロンに関わりたい」と話す。「自分も成長しているけれど、世界のレベルはもっと上がっている。スイムが強くなければ勝負できない」とも話した。

20年前、京都・洛北高を卒業後「五輪の金メダルを目指して」上京した。多くの名選手を育てた山根英紀コーチの指導を受けて、08年北京から3大会連続で五輪出場。16年には世界ランク3位にまでなった。「世界で自分よりも小さい選手は珍しい」と笑う155センチの小柄な体で、過酷な競技を引っ張ってきた。

ワールドトライアスロンのレースには20年間で210戦出場。29レースで優勝し、51回表彰台に立った。2位以下を引き離す圧倒的な数字とともに、常にポジティブで明るい性格で世界中の選手から尊敬された。「たくさんの出会いがあって、仲間ができた。それが財産です」とも言った。

もっとも、五輪のメダルは届かなかった。「残念ですね。(16年の)リオは狙えると思ったけれど」。メダルを期待されながら、スイムで出遅れて39位。五輪を振り返った時だけ、悔しそうな表情をみせた。

レース後は「まだまだ成長できる。生涯現役です」と言った。山根コーチとの契約は9月末で満了し、日本トライアスロン連合(JTU)の五輪強化選手からも外れた。五輪へサポートしてくれたスポンサーとの契約も切れるため、新たなスポンサー探しも必要。それでも、トライアスロンをやめることはない。

すでに、次のレースも決めている。来月6日にスペインで行われるデュアスロンの世界選手権。苦手なスイムがなく、ラン-バイク-ランで争う大会で世界一を目指す。12月には東京五輪のコースで行われる同種目の日本選手権に出場する予定だ。さらに、五輪の3倍もの距離で争うロングディスタンスへの挑戦も視野に入れる。「ロングならスイムの後れを取り戻せる可能性も大きい」と話す。

五輪だけがトライアスロンではない。競技の魅力を伝え、広めていくために、「藍ちゃん」は新しい挑戦を始める。「まだまだ、ゆっくりはできないですね。あっ、コン(婚)チネンタルカップ(活)もしたいですけど」。常に挑戦を続けてきた上田は、最高の笑顔で言った。【荻島弘一】