ゴールした谷真海は笑顔だった。東京パラリンピックのトライアスロン競技、PTS5(運動機能障害)女子の出場者は10人。谷は最下位の10位だったが「この場に立てたことだけで幸せ」と笑顔で言った。

パラトライアスロンは運動機能の障害が重い方からPTS1~5にクラス分けされている。17年に陸上から転向した谷はPTS4で連戦連勝。東京大会の有力な金メダル候補だった。

ところが、競技人口が少ないことを理由に、18年に同クラスが東京大会の実施種目から外れた。クラスとともにPTS4の選手も大会から除外されたのだ。長年かけて目指してきた大会に出場できなくなった。

「せめて挑戦させてほしい」という谷の直訴が実って、より障害の軽いPTS5との統合で出場が認められた。ただ、大会本番はもちろん、代表選考もPTS5の選手と争わなければならない。そんなハンデを背負っての出場。だから、谷は胸を張って「この場に立てたこと」を喜んだ。

パラスポーツでは、競技を「公平に行うため」に選手のクラス分けを行う。同程度の障がいを持つ選手同士が競い合えるようにだ。「公平さ」だけを求めるならクラスを細分化すればいいが、そうなると各クラスの競技者が限られて大会としてなりたたなくなる。

実際にパラスポーツの世界では突然種目がなくなることも珍しくない。過去のパラリンピックでは現地入りした選手の出場種目が直前でなくなったことさえもある。競技人口の少ないクラスの選手は、相手とともに競技がなくなるリスクとも戦わなければならない。

パラリンピック期間中、常に頭の中に「不公平」という言葉が残った。国際パラリンピック委員会(IPC)は「最も公平に競技ができるように」クラス分けをし、実施種目を決めているというが、それでも不公平感は否めない。

種目がなくなるだけではなく、クラス変更で選手の競技成績も変わる。実際にクラスが1つ変わっただけで金候補がメダル圏外になり、参加すら難しかった選手が一躍メダルを獲得することもある。ここにも「不公平感」はついて回る。

少し乱暴な言い方をすれば「クラス分けなんか、やめてしまえば」とも思う。ただ、現実的には身体機能が著しく違う選手が競い合うのは難しいし、危険もある。何より選手たちは前向きだった。取材過程で「不公平」を感じながらも、パラ取材時のノートに記した選手の言葉でネガティブなものは1つもなかった。

東京大会で12クラス中8クラスしか行われなかったトライアスロンは、パリ大会で11クラス実施が決まった。競技を統括するワールドトライアスロンの大塚真一郎副会長は「競技力向上も大事だが、特にパラは普及も重要。そのためには、障がい者のスポーツ環境を整えること」と話した。

パラアスリートは障がい者への理解を求めながら、子どもたちにスポーツの素晴らしさを伝えた。競技力に特化した五輪にはないパラの魅力。障がい者スポーツがもっと普及し、一般的になれば、頭に残った「不公平感」も払拭(ふっしょく)されるかもしれない。【荻島弘一】