帝京大(関東対抗戦1位)が前人未到9連覇を達成した17年度以来、4大会ぶり10度目の頂点に立った。

対抗戦で勝利した明大(同3位)との再戦を27-14で制した。プロップ細木康太郎主将(4年)を中心にスクラムやフィジカルで圧倒。“日本一を知らない”男たちが「正しい道」を模索し、信じ続けて、覇権を取り戻した。明大は3大会ぶり14度目の優勝を逃した。

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ゴールの見えない道は、この景色へとつながっていた。13点リード、時計は後半39分40秒を回っていた。残り1分でベンチに下がった細木はスクリーンに目をやり、初めて「勝てる!」と確信した。日本一を告げる笛を聞き、左膝を地面についた。ピッチを囲むトラックの上で1人、泣いていた。晴れ晴れとした空を見上げ、友と抱き合い「苦しい時も仲間を見て、グラウンドで一緒に戦っている仲間の顔を見て、一生懸命頑張った」と胸を張った。

初めての決勝は1年間の財産を信じた。前半5分、左ラインアウトのこぼれ球をCTB押川が拾って先制トライ。同32分にはスクラムを押して反則を誘い、FWが縦に前進した。2分後にWTB白国がトライを挙げ、前半で20-0と圧倒。後半最初のトライこそ与えたが、最前列の細木を中心に、自慢のスクラムで主導権を渡さなかった。その姿を見た岩出監督は「細木キャプテンに尽きると思います」と歩みを思い返した。

「正しい道を行きなさい」-。

1年前、監督から主将の細木が授かった言葉だ。練習場の最寄りである京王線をたとえに出し「(東の終着駅)新宿に行きたいのに、分かっていて(西の)高尾山に行くのは違うだろう?」とヒントをもらった。「正しい道」という抽象的なフレーズに毎日向き合った。秋になると「もう間違った方向に行っても、戻れないぞ」と告げられた。1つの言動、選択…。優勝した対抗戦中も「何が正解か分からない」と漏らした。

4年前、高校日本代表の看板を背負い、神奈川・桐蔭学園高から入学した。小学校まではサッカーに打ち込み、中学で初めて楕円(だえん)球に触れた。中1の冬に帝京大が大学選手権4連覇。「衝撃的なぐらい強かった。ラグビーを始めた時から『大学ラグビー=帝京』のイメージだった。学生のうちから日本代表に入りたかった」。多くの選択肢がありながら、当然のように決めた大学だった。

描いた理想と現実は違った。1年時に10連覇を逃し、結果が伴わないことが苦になった。伝統校が息を吹き返し「早稲田や明治に進んだ同期がうらやましかった。練習をやっていても『意味ないんじゃないか』と思った」。2年になると寮の食事に遅刻し、周囲の助言にも耳を傾けなくなった。周りに「何やっているんだ、アイツ」と思われている自覚はあったが、環境を言い訳にする自分がいた。

3年になり、同期が新チームの主将に選んでくれた。練習での妥協、遊びに走りたい思い…。覚悟を決めて「正しい道」を考え続けると、欲が消えた。寮の3人部屋では後輩2人と風呂に向かい、背中を流しながら、思いを語り合った。試合用のジャージー授与式で涙する仲間を見て、チームの一体感を覚えた。誰もが勝ちに飢えていた。決勝前日。「俺はこのゲームに、人生と命をかけていく」と伝えた。不器用でも、ついてきてくれる仲間がいた。

「試合が終わってから涙したのは、自然に出てきて、僕も(理由が)分からないです。うれしかったのと、今までのいろいろなことを思って、だと思います」

最後はみんなが輝いた。花園を経験したことがない、大阪・摂津高出身の4年生WTB白国は3トライを挙げ「努力そのものをやめないと決めていた」と笑った。2年生フッカー江良は「出られない仲間のために絶対に体を当て続ける」とタックルで何度も相手を後退させた。細木は言った。

「僕たちがプライドを持っているスクラムで、試合を通して圧倒できた。これからの人生に、このチームの未来に、大きくつながると思います」

卒業後は東京SG(サントリー)で日本代表を目指す。歩んだ道は未来にもつながっている。【松本航】