梨佳子の活躍は、うれしくて…。Wリーグ・アランマーレ秋田・嘉陽梨佳子(23)が26、27日、新潟・阿賀野市内での新潟戦で1年目のシーズンを終える。大学進学を機に故郷の沖縄を離れ、大卒ルーキーで挑んだ今季は、主力として新規参入のチームを支えてきた。浦添・西銘(にしめ)生栄監督(53)は、前任の前原高で3年間指導。秋田で奮闘する教え子に、沖縄からエールを送った。【取材・構成=相沢孔志】

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西銘監督が時折、声を弾ませながら当時を振り返った。前任の前原高でバスケットを指導した嘉陽が21年4月、名古屋学院大(愛知)を経てWリーグに新規参入したアランマーレ秋田に入団。同年10月の開幕戦に出場し、同校卒業者では初のWリーガーとして大きな1歩を踏み出した。西銘監督は「本当にすごいと思います」と、笑顔で快挙をたたえた。

入学前から県内では一目置かれた存在だったという。「彼女は小学生の頃から県ではけっこう有名でした。(中学年代の)ジュニアオールスターにも選ばれていて主力の選手でした」。本島中部、うるま市出身。14年4月、同オールスターでともにプレーした仲間と前原に進学した。入学当初、一番驚いたことはそのポテンシャルの高さだった。

西銘監督 スケールが大きかったです。沖縄であの身長(現176センチ)はめったに出ません。175センチを超える子は。170前半はいますけど。走れるし、動きも俊敏だし、器用な選手でしたね。

これまで県内の女子バスケを22年間見てきたが「(自分が)預かった中では体のバランスと身体能力は1番手」と評価する。ポジションは大きな体格を生かし、パワーフォワード(4番)やセンター(5番)といったゴール下を任せたが、別の可能性も感じていた。

西銘監督 沖縄県内ではほかに小さい子しかいないので、どうしても(ゴール)下の方になってしまいます。だけど、2番(シューティングガード)、3番(スモールフォワード)、4番でもいけるかなと。彼女も下より、外のプレーが好きだったと思います。チーム事情で我慢してやっていたのかな。ある意味、九州(県外)の上位チームにいくとポジションが変わっていた可能性もあったのかなと思います。

県内トップクラスの素質を持ち、16年岩手国体8強に貢献。だが、全国高校総体、全国選手権出場には届かず、名古屋学院大に進学を決めた。

西銘監督 大学は本人がもっと上に行きたいという意思があった。高校3年の頃くらいからはたぶん、Wリーグでもやってみたいと思っていたのかなと思います。

17年3月、別れの時。授業で会うことはなく、主に体育館で顔を合わせた3年間だった。卒業の際は「次のステージにいくので、厳しい環境かもしれないけど頑張るように」と声をかけ、送り出した。「負けん気も強いので、彼女は」。高い向上心を持つ嘉陽の可能性を信じつつ、西銘監督も同時期に前原を去った。

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嘉陽は同大進学後、1年から主力選手として活躍。1、3、4年は全日本大学選手権(インカレ)に出場した。西銘監督は「インカレとかは、出場するとお母さんの方から連絡があって見ていましたね」と映像を通して応援。全国大会でひたむきに戦う姿を見て、感じたことがあった。「(高校時代は)プレーで引っ張るタイプでした。我慢強さや献身的な姿は成長したと思います」。

21年3月、嘉陽は母親とともに西銘監督の元へあいさつに訪れた。だが、「たまたま僕が不在の時に来ていたらしいです。大学を卒業した後の3月後半だった気がします。たぶん、春休みで僕がチームを練習試合に連れて行ったと思います」と苦笑い。再会はできなかったが「活躍を期待している」と激励のメッセージを送った。

17年3月の高校卒業から、もう5年が過ぎようとしている。今では秋田に活躍の場を移し、誰もが憧れる日本最高峰の舞台で戦う。人生に1度のルーキーイヤーはあと2試合。沖縄から全力プレーに期待した。

西銘監督 日本のトップリーグで活躍していることは僕自身、誇りに思っています。これからもチャレンジ精神を失わず、ひたむきに頑張ってください。結果よりも、とにかく全力を出して自分が納得するプレーを目指してやってほしいです。

梨佳子なら大丈夫。絶対に。そう願いながら。