『アニマル』の異名を取った1964年東京五輪レスリングフリースタイル・フェザー級(63キロ級)の金メダリスト渡辺長武(おさむ)さんが昨年10月、死去していた。81歳だった。日本レスリング協会関係者が15日、明らかにした。

 

渡辺さんは70代後半になっても都内のスポーツジムで体を鍛え続けていた。17年8月の日刊スポーツの取材には「毎日腹筋500回。続けるのが健康の秘訣(ひけつ)」と言って笑った。午後9時に寝て午前4時間起床の規則正しい生活とも語っていた。しかし、最近は公の場に姿を現すことはほとんどなかった。

渡辺さんは62年6月の全米オープン選手権で全試合フォール勝ちして優勝。豪快な投げ技から一気にフォールに持ち込む目にも止まれぬ速攻が「動物のようだ」と恐れ、米国人選手が『アニマル』の異名を付けた。正確な技は「スイスウオッチ」とも呼ばれ、連戦連勝で同年と63年の世界選手権を連覇すると、64年東京五輪の金メダル最有力と期待された。

重圧のかかる地元の五輪で渡辺さんは全試合で1ポイントも与えない完璧な内容で金メダルを獲得。14年の本紙の取材に「絶対に金を取れる自信があった。試合というものは出場して勝つものだと思っていましたから」と胸を張って当時を振り返っていた。日本レスリング協会のHPによると、61年欧州選手権から五輪までの186連勝はギネスブックにも掲載された。

東京五輪後に引退して電通に入社したが、84年に退職。その後は事業に失敗するなど、肩書がコロコロと変わった。離婚も経験した。そんな中、87年に46歳で現役復帰。翌年のソウル五輪を目指したが、復帰戦の社会人選手権で準々決勝敗退し、連勝も189でストップした。95年の参院選でさわやか新党の比例代表として出馬し落選した。

14年の本紙の取材で、20年東京五輪を目指す若い選手へのエールとして彼は「野性的な練習が大切」と話し、こんなエピソードを明かした。「私は北海道で熊に追いかけられた。熊が出るところでないと、ヤマブドウはおいしくないから。熊に見つかったら逃げる。死んだふりなんかダメ。逃げて鍛えられたの」。渡辺さんは昭和という時代が生んだ、不世出のアスリートだった。【首藤正徳】

 

◆渡辺長武(わたなべ・おさむ)1940年(昭15)10月21日、北海道和寒町生まれ。士別高でレスリングを始め、中大に進学。61年の欧州遠征以来国内外負けなしで、62、63年世界選手権も連覇。強さから「アニマル」、技の正確さから「スイスウオッチ」の異名をとり、東京五輪までの186連勝はギネス記録となった。引退後は電通勤務。退職後の87年には復帰してソウル五輪出場を目指し、その後もマスターズなどで活躍した。身長は160センチ。