<成長1>

 ジュニア時代、天才・錦織圭に2勝1敗と勝ち越した男がいる。今でも選手として国内でプレーする喜多文明(25=リコー)だ。00年の全国小学生選手権で初めて会い、名字を「何て読むんだろう」と思った錦織と、今でも「フミ」「ケイ」と呼び合う大親友だ。

 盛田正明テニス基金の第4期生として、03年9月に錦織、富田玄輝と3人で米国IMGアカデミーに渡った。宿舎は1部屋3、4人。3人は、日本人同士固まらないようバラバラの部屋になった。盛田氏の厳しい配慮だった。

 到着した夜のこと。寝る前に、喜多はトイレに行った。流そうと思ったら、水があまり出ない。何度もノブを押すと、今度は水があふれた。部屋中が水浸しになり、ルームメートはカンカン。錦織も「ウソだろー ! 」。まさにくさい仲のスタートだった。

 日課は過酷だった。毎朝5時起きで、5時半に朝食。その後、練習を3時間やり、トレーニング。その後また練習で、昼食を挟んで午後2時ごろまで練習。学校に2時間行き、帰ってきて実戦形式の練習。土曜の午後と日曜だけが休みだった。

 喜多は錦織と違い、社交的なタイプ。3人とも英語はまったくしゃべれなかったが、喜多は電子辞書を使いルームメートとうち解けた。錦織は、そう簡単ではなかったという。「日本語でもあまりしゃべらないから。ルームメートの名前さえ最初覚えてなかった」。

 誰もが10代のやんちゃ盛りだ。悪気がなくても、いたずらだらけ。喜多も錦織も、ラケットを隠されたり、飲み物を勝手に飲まれたりした。「休みに飲み物を1ダース買ったら、翌日に、半分なくなっていた」。途中から、スーツケースに入れてカギをかけた。

 そんな生活の中、少しずつ喜多が感じ始めたことがある。米国に来るころ、1学年上の喜多は、錦織と練習試合をやっても勝ったり負けたりだった。それが1年たつと「あれ、ちょっとレベルが違うんじゃないのかなと思い出した」。いつのまにか、錦織に勝てなくなっていた。(つづく)