札幌市の上田文雄市長(66)は27日、札幌市議会で2026年冬季五輪、パラリンピックの開催都市に正式に立候補することを表明した。ここまで経済界、議会などから招致を望む声が多く上がっていた。さらに、札幌市が10月に市民を対象に行った招致アンケートでも賛成多数だったことから民意を得られたとして決断した。実現すれば、72年以来2度目の開催で、経済波及効果は道内だけで7737億円が見込まれる一大事業となる。

 72年札幌五輪ノルディックスキー・ジャンプ70メートル級金メダルの笠谷幸生氏(71)が、札幌市の2026年冬季五輪招致を歓迎した。この日、上田札幌市長の立候補表明を知り「スキー関係者じゃなくても興味の持てるイベント。とにかくこれで1歩踏み出した。大変うれしいですね」と喜んだ。

 選手として4度の五輪を経験、引退後も10年バンクーバー五輪日本選手団副団長や日本オリンピック委員会(JOC)理事など要職を務めただけに、開催都市に選出される難しさも知る。「これからがとんでもなく大変。いろいろな問題が出てくる」と懸念する。

 だからこそ「オール北海道」で招致に取り組む必要性を訴える。「スケートなら帯広や釧路。アイスホッケーなら苫小牧。旭川やニセコもある。もちろん札幌が中心にはなるが、それにこだわらず北海道全体で幅広く協力してやるべき」と提言した。

 72年大会開催が札幌市に決まったのはその6年前。大倉山は7億5300万円をかけ、80メートル級から90メートル級への改修が決まった。観客収容数は5万人。世界でもトップクラスの規模を誇った。

 当時、ニッカウヰスキー入社2年目だった笠谷氏は「五輪というよりも、まずは選手を続けて、新しい大倉山を飛びたいもんだなあと頭をよぎった。あのころは大卒3、4年で引退して仕事に専念するのが普通だったから」と振り返る。1日でも長く現役を続け、改修された大倉山を飛ぶ。その思いが最終的には金メダルにつながった。

 ◆笠谷幸生(かさや・ゆきお)1943年(昭18)8月17日、仁木町出身。余市高-明大-ニッカウヰスキー。63年に日本人2人目の100メートルジャンパーとなる。五輪は64年大会から4連続、世界選手権(当時は五輪も兼世界選手権)は7連続出場し、70年世界選手権70メートル級で銀、72年五輪70メートル級は金。76年引退。03年に紫綬褒章を受章。