<フィギュアスケート:グランプリファイナル>◇最終日◇13日◇スペイン・バルセロナ

 ソチ五輪金メダリストの羽生結弦(20=ANA)が、圧巻の復活劇で日本人初の大会2連覇を飾った。ショートプログラム(SP)1位からのフリーで2種類の4回転ジャンプを完璧に決め、自己ベストの194・08点。合計288・16点で2位以下を30点以上も引き離した。11月の中国杯での衝突から1カ月あまり。演技直前の慣習を急きょ変える大胆さで、変化を恐れない強さをみせつけた。

 半回転の差が勝負を分けていた。

 演技を開始する本当に直前。前の滑走者の町田が演技を終えて、入れ替わりでリンクに入った羽生が速度を上げていく。最後に感覚を確かめるために跳んだのは、いつもの3回転ループではなく、半回転多いトリプルアクセル(3回転半)だった。

 「アクセルやりたいんだけど、どう?」。オーサー・コーチに問うたのは、数分前。「良いと思うよ」のゴーサインに、滑走までの新たな準備を決めた。習熟しすぎて「気を抜いても跳べてしまう」ループに、物足りなさを覚えていた。より4回転の感覚に近い、新たな1本で全身に少し刺激を多めに入れる。「いまの体だからこそ」と、約1カ月前の中国杯の負傷から復調中の体と相談。その上で、以前の慣習に戻すのでなく、変化を恐れなかった。

 1つのジャンプに凝縮された五輪王者の精神構造。その勇気が見事に成果を生む。開始20秒、「きた!」。踏み切った瞬間に成功を確信した4回転サルコー。続く40秒、4回転トーループ。糸を引くように滑らかに、まったくバランスを崩すことなく降りきると、満員のスペイン人ファンから悲鳴に似た歓声が巻き起こる。「こんなにきれいに決まったのは初めて」。2本の成功は13年9月のフィンランディア杯以来だった。

 久しぶりの快感に、勢いは増す。ジャンプを跳ぶたびに、優勝は確実に。最終8本目の3回転ルッツこそ「本当に本当に疲れていて、気が緩んだかな」と転倒したが、惜しくもフリー初の200点超えはならずも、会心の演技の妨げにはならない。フィニッシュすると、とにかくはしゃぐ。何度も何度も拳を振り、右手を掲げてピース。フリーで自己ベストの得点が出て圧勝が決まると、興奮を抑えられず、両手を振って観客の声援をあおった。「グラシアス(スペイン語でありがとう)!」と感謝して、ずっと笑っていた。

 この日は、午後の公式練習でも新たな試みをした。曲をかける順番が6人中6番目だったため、開始を5分遅らせて入場。体の温まりかたを自己分析した結果で、調整法は「かなり自信にはなった」という。常に変わり続けることを「ある程度、孤独。自分のなかでの闘い」と形容する。あえてコーチにも頼らず、進化を求める。

 11月8日の激突事故から始まった1カ月。最後は歓喜で締めた日々を「幸せでした」とまとめた。日本連盟の小林強化部長も、「しばらく無敵だと思います」と舌を巻く20歳。逆境に進化で応え、王道を歩み続ける。【阿部健吾】<羽生の14年歩み>

 ◆2月14日

 ソチ五輪の男子シングルで、日本人史上初の金メダルを獲得。

 ◆3月28日

 世界選手権(さいたまスーパーアリーナ)の男子シングルで、10年の高橋大輔に続く日本人2人目の優勝。GPファイナル、五輪、世界選手権の3冠に輝いた。

 ◆8月27日

 10月から始まる新シーズンを前に、イベントに出席。「金メダルが偶然ではなく、実力と思われるように頑張る。全部勝ちたい」と意気込む。

 ◆9月23日

 全治4週間の腰痛で、シーズン初戦となるフィンランディア杯(10月10~12日)の欠場を発表する。

 ◆11月8日

 初戦となったGPシリーズ第3戦中国杯で、フリー演技直前の6分間練習中に閻涵(エン・カン=中国)と大激突。顔から出血するなどしたが、治療を受けて強行出場。5度のジャンプで転倒しながらも2位に入った。

 ◆11月9日

 精密検査を受けるため、緊急帰国。成田空港では車いすに乗って姿を現した。

 ◆11月14日

 オーサー・コーチが全治2、3週間と診断された羽生について、最も深刻なけがは左大腿(だいたい)挫傷だと明かす。

 ◆11月26日

 羽生がGPシリーズ第6戦NHK杯(28~30日)の出場を決断。

 ◆11月28日

 4回転ジャンプに転倒するなどボロボロになりながらも総合4位に入り、6人で争うGPファイナルへの出場権をギリギリ6番目で手にする。

 ◆12月13日

 アクシデントを乗り越え、GPファイナルに優勝。