カブス・ダルビッシュ有投手(32)の昔話があまりに興味深かった。

今春、東北高校の恩師である埼玉栄・若生正広監督(68)の勇退が発表された直後。ミルウォーキーで高校時代を振り返っていた時のことだ。「自分は高校でほぼ練習をしていなかったから」。そう自虐的に苦笑いした後、衝撃の思い出を明かしたのだ。

入学前後から膝に成長痛を抱え、主将になるまで全体練習にもあまり参加しなかったという。朝イチから練習試合が始まる週末に昼まで寮で眠り続け、寮内放送で「有、起きて!」と呼び出されたこともあったらしい。それでも若生監督は、エースに関しては必要以上に締め付けることなく自主性を許容。教え子は「明らかに体が弱かった自分をすごく理解して守ってくれた」と感謝していた。

03年3月、センバツで室内練習場で柔軟体操する東北・ダルビッシュ(右)と若生監督
03年3月、センバツで室内練習場で柔軟体操する東北・ダルビッシュ(右)と若生監督

後日、どうしても聞きたくなった。高校時代、もし厳しく締め付けられていたら野球を辞めていたのではないか、と。「多分、そうだったと思う。高校時の僕のマインドからいくと、あの監督じゃないと多分続けていなかったと思う」。もちろん右腕は過去の自分を反省しているのだが、それはさておき、指導者が違えば「ダルビッシュ有」という世界屈指の投手が存在しなかったかもしれないと想像すると、ゾッとした。

ダルビッシュは中高生時の自分を「ラッキーだった」と振り返る。「投球フォームに関して変なことを言う人はまったくいなかった」からだ。もちろん当時から非の打ちどころがなかったからかもしれない。それでも不必要に厳しく口を出して優位に立ちたがる指導者もいる。もし乱暴に上から抑えつけられたら、思春期でまだ純粋な学生は反発してしまいがちだ。

「自分みたいなタイプはいると思う。今でこそ何かあればSNSで『こんなことをされた』と声を上げることもできるけど、昔は表に出ることもなくて、やりたい放題な監督、コーチもいたと思う。そのころは、だいぶ才能の芽が摘まれていたかもしれませんね」

現代は、野球に関する情報を簡単にインターネットから学べる。勉強不足の指導者が間違った知識を押しつけてきても、学生側が疑問をぶつけやすい時代にはなっている。ダルビッシュはそんな流れに肯定的だ。

「もちろんまだ(上に意見を)言えない文化は残っているとは思うけど、指導者もそういう流れを分かっているから(適当なことを)言いづらい雰囲気はある。そうなって、以前ならつぶされていた才能が出てきやすくなった気はします」

日米野球界両方の指導の傾向を知る数少ない存在。国が違えば指導スタイルに違いが出ることも、ダルビッシュは教えてくれた。(つづく)【佐井陽介】

◆佐井陽介(さい・ようすけ)兵庫県生まれ。06年入社。07年から計11年間阪神担当。13年3月はWBC担当、14年は広島担当。メジャー取材は08年春のドジャース黒田以来11年ぶり。