野球界にはけっこう、航空業界と接点がある人が多い。だから1月2日、羽田空港で起きた事故への衝撃も大きかった。「ほんっとに肝が冷えたよ…」。真顔で振り返る人もいた。

センバツ高校野球が行われている甲子園にも、そんな声があった。日本航空石川の森山尚良(たから)マネジャーだ。彼女はCAになることを夢見て、千葉県から同校に進学した。

八戸学院光星対星稜 星稜に負け肩を落とす日本航空石川・森山尚良マネジャー(中央)(撮影・石井愛子)
八戸学院光星対星稜 星稜に負け肩を落とす日本航空石川・森山尚良マネジャー(中央)(撮影・石井愛子)

年末年始の帰省中に起こった能登半島地震はつらかったし、翌日の事故も衝撃的だった。

「生きてきた中で初めて知った飛行機の事故だったので。本当にそんなことがあるんだ、って…」

いろいろと考えることの多い年の始まりだった。自分ならどうするか-。野球部マネジャーとしての仕事もこれまでは毛色が違った。山梨に拠点を移した一部選手たちのところに、合流した。しかし。

「最初は30人が集まったんですけど、私が合流した時はみんなすごく暗くて。なんか、ずっと地震のことばっかで。みんな元気なくて。気持ちがバラバラだったんです」

少しでも時間があれば、少しずつ声をかける。大変だったけれど持ち前の明るさと落ち着きぶりで、仲間をほぐしていった。

多くを感じた。センバツ出場が決まって2月末、宝田主将が校舎のある石川・輪島市を表敬訪問で訪れ、そこで撮った写真がチームのLINEグループに貼られた。

「私は災害があった後に石川に行ってなかったので。すごくびっくりしました。テレビのまんまなんだなって。現実味がなくて。心が痛くなりました。まだ石川に住んで2年くらいだったんですけど、変わり果てた町並みで、すごく胸が痛かったです。校外学習で、災害が起こる前の朝市もこの目で見ていたので。変わり果てた姿を見て…信じられなかったです」

すでに全員が合流していたチームは、それを機にさらに結束や思いを強め、甲子園にやって来た。試合には敗れた。でも。

常総学院対日本航空石川 試合後、あいさつのため整列する日本航空石川・森山マネジャー(左)(撮影・滝沢徹郎)
常総学院対日本航空石川 試合後、あいさつのため整列する日本航空石川・森山マネジャー(左)(撮影・滝沢徹郎)

「ピンチの時もベンチから『大丈夫、大丈夫』『ついてるついてる』『○○なら行けるよ』ってポジティブな言葉が飛び交って。私自身も心の中でも言葉に出してでも応援してて。すごくいい雰囲気だったなと。みんなが最後まであきらめずに力を振り絞って声出したりしてて。負けちゃったけど楽しかったなって思います」

能登半島からもらった勇気の数々も大きかった。野球部はすっかり元気になった。だからまた。

「私ももっとマネジメントを磨いて、もっと目配り気配りして、夏にまた甲子園に来て今度こそ1回戦を勝てるように」

それに。

「夏の甲子園も1つなんですけど、これからは切り替えて、今までボランティアなどがあまりできていなかったので、これから石川に戻ったりして、少しでも石川の方の力になれるように野球部などでボランティア活動していきたいなと思います」

そうやって経験を重ねて、いつか幼少期からの夢をかなえたい。羽田の事故は衝撃的だったけれど、あらためて思ったことも。

「CAさんの行動力のおかげで全員が脱出できて、飛行機の中は誰も亡くならなかったので。そういう強いCAさんになりたいです。自分がそういう事故でうまく対応できるかなって考えると、不安もあるんですけど、そういう時こそ野球部で学んでいるマネジメントを生かして、率先してまとめていけるような」

大きな試合に敗れた後なのに悔しさを出さず、ゆっくりと丁寧に言葉を紡いでいく。有事にも平静を保つことが、憧れの仕事で何よりも求められること。

「野球面もそうですし、あと、学業面では今年こそ英検1級を取れたらいいなって思ってます」

目の前には大空が広がっている。【金子真仁】

常総学院対日本航空石川 試合後、あいさつする日本航空石川・森山マネジャー(左から2人目)(撮影・滝沢徹郎)
常総学院対日本航空石川 試合後、あいさつする日本航空石川・森山マネジャー(左から2人目)(撮影・滝沢徹郎)