キューバは米国との国交正常化を進め始めた14年以降、皮肉にも選手の亡命が加速する。国内リーグのレベルは下がり、代表はかつての強さを失っている。国内ではサッカー熱が高まり、「国技」野球を脅かす存在になっていた。

(2016年4月6日付紙面から)

革命博物館前の公園の石畳でサッカーに興じる少年たち。何時間もプレーを続けていた
革命博物館前の公園の石畳でサッカーに興じる少年たち。何時間もプレーを続けていた

 名実とも野球大国を疑わなかったキューバだが、現地の人からは「今はサッカーの人気がすごい」と意外な答えが返ってきた。同国代表は78年前のW杯に1度出場しただけだが、確かにホテルでテレビをつけると、スペインやブラジルなど人気海外リーグの試合が毎日のように放送されていた。スポーツバーに入ると、誰もが店内のテレビを夢中になって見ていた。すべてサッカーの試合。料理を頼んだとき、ちょうど決定的なゴールが入った瞬間で、ウエーターは私の注文など上の空で画面にくぎ付けだった。それほどサッカー人気が高い。

 街中にある広場や公園では、多くの少年がストリートサッカーに夢中だった。革命博物館の前にある公園に石畳の広い遊歩道があり、ストリートサッカーの中心地になっているようで、早朝から夜遅くまでサッカーに興じる少年たちがいた。他の街ではどうか分からないが、少なくとも首都ハバナの広場で野球をする少年をまったく見かけなかった。どこもサッカー少年ばかりで、メッシ(バルセロナ)の10番のユニホームを着てプレーしている少年が多かった。

ハバナ郊外のスポーツセンターで投球練習を行う少年たち。コーチ2人でフォームをチェック
ハバナ郊外のスポーツセンターで投球練習を行う少年たち。コーチ2人でフォームをチェック

 ハバナの野球少年は、どこに行ったのだろう。そんな思いに駆られて市内を回った。新市街にある小学校のそばに小さなグラウンドがあったが、そこで行われていたのもサッカーだった。国内リーグで「キューバのヤンキース」と呼ばれるインダストリアレスの本拠地ラティーノアメリカーノ球場が同市内にあり、そこにも足を延ばしてみた。ちょうど同チームは遠征中で、球場周辺に人影はなく、広場で野球をする少年の姿もなかった。

 ようやく野球少年を見つけたのは、ハバナ郊外にあるスポーツセンターだった。小学校の中、高学年くらいの少年たち7~8人がユニホームを着て、センター敷地内にある駐車場で、指導を受けながら投球練習を行っていた。コーチらしき人が笛を吹き、笛が鳴るたびに少年たちが動きを一瞬止める。構えて、片足を上げて、振りかぶって投げるという一連の動作が笛に合わせて繰り返され、投球モーションを体に染み込ませているようだった。

 ハバナの少年にとって、野球とは広場で興じるものではなく、指導者の教えを受けて訓練し、技術を上げていくものなのだろう。キューバでは、それだけ野球の指導法が確立されているともいえる。間もなく合法的に米国移籍が可能になりそうだが、メジャーが身近になれば、野球に打ち込む少年もまた増えそうだ。(つづく)【水次祥子】