清原ファン総立ち二塁打でプロ23年に別れ

- 6回裏オリックス1死一塁、清原は右中間突破の適時二塁打を放つ
<オリックス4-1ソフトバンク>◇1日◇京セラドーム大阪
オリックス清原和博内野手(41)が1日、多くの仲間、ファンに見送られ、バットを置いた。マリナーズ・イチロー、歌手の長渕剛、PL学園時代の恩師・中村順司氏(名商大監督)、桑田真澄氏(元パイレーツ)、親交のある阪神金本知憲外野手らが最後の勇姿を見ようと球場にかけつけた。試合後のセレモニーでは長渕が歌う「とんぼ」の生歌にすすり泣いた。在籍した西武、巨人、オリックスへの感謝の言葉を述べる、感動のフィナーレとなった。
場内1周を終えた清原を、ホームベース上でナインが待っていた。背番号と同じ5回、宙を舞った。ローズも北川も浜中も後藤も、みんな泣いていた。イチローが米国から駆け付け、セレモニーではアニキと慕う長渕剛が「とんぼ」をフルコーラスで熱唱してくれた。「おれは幸せ者や!!」。故郷大阪で迎えた現役最終章は涙、涙の感動のフィナーレとなった。
最後の最後まで清原は清原だった。3番にカブレラ、5番にローズを従え、2年ぶりに「4番DH」で出場。そして6回の第3打席、杉内の外角直球をとらえた。打球は右中間を真っ二つに割ると、左ひざの痛みをこらえ、迷いなく一塁を蹴った。魂のフルスイングで、最後の適時打をカッ飛ばした。2点リードの6回1死一塁。4番として勝ちを決定付ける追加点を運び、激走した最後の生きざまにベンチも総立ちとなった。
清原 ローズからは「一緒にプレーオフに行こう」と言ってもらったけど、もう足は限界を超えてました。心も、燃え尽きました。
最後も故障との闘いだった。9月半ば、左すねに蜂窩(ほうか)織炎を発症し、神戸市内の病院に3日間、極秘入院していた。かつて大相撲の小錦も引退に追い込まれたほどで、高熱にうなされた。残り15試合を切り、今度こそ「限界や」と思った。だが休んだ3日間、チームは札幌で3連敗。浮かんだのは自分を誘ってくれた仰木元監督だった。「仰木さんもがんと最後まで闘った。まだ恩返しは済んでない」。あとは気力だけだった。
軟骨移植手術を受けた左ひざもボロボロ。「痛み止めの本数は王さんのホームラン数(868本)を超えてると思う」と打ち明けた。毎試合の3回と7回。出番があるときもない時も座薬を装てんし、いつでも出陣できる準備を整えてきた。だが、もはや薬も効かない。実はこの日も、グラウンドに立てる状態ではなかったが言った。「ファンの温かい拍手と声援が、どんな痛み止めよりも効きました」。
試合前、両親と夫人、愛息2人をベンチに招き入れた。プロ23年目で初めてのことだった。「ここまでできたのはお父さんとお母さんのおかげや」。父と母の肩を抱き、記念写真に納まった。感謝のフルスイングを誓い、すでに試合前から泣いていた。
現役最後の8回、第4打席は、ナインもベンチで総立ちで見守った。悲鳴と絶叫が交錯する中、杉内の139キロ真っすぐに空振り三振。打席で一礼し、18球全部真っすぐ勝負を挑んでくれた杉内にも「感謝してる」と頭を下げた。最後も清原らしいフルスイング。ストライクは1球も見逃さなかった。イチローも惜しみない拍手を送った。
清原 仰木さんは言ってくれると思う。「なあ、キヨ、おれが言った通りになったやろ? 大阪に戻ってきて良かったやろ」って。
あと1本、ホームランを打ちたかった。でも限界を超えるまで戦い、すべての力を出し尽くした。数々の記録と記憶をファンの心に刻んだ男が、最後の2338試合目にも伝説をつくり、バットを置いた。【松井清員】
[2008年10月2日8時14分 紙面から]
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