中日は29日、森繁和ヘッドコーチ(61)の新監督就任を発表した。谷繁元信監督(45)の解任後、8月から監督代行を務めた。一時は監督に内定していた小笠原道大2軍監督(42)へのつなぎ役を自認し、最下位チームの「地ならし」にあたる決意を明かした。

 「みんなが言っている人が監督になるものだと思っていた」。名古屋市内で行われた就任会見で語った。就任要請されたのはホーム最終戦の25日。ヘッドコーチ、監督代行として低迷を招いた責任を感じ、球団に進退伺を出したが、却下されたという。

 迷いはあった。受諾したのは中日の今後を思ってだという。「次の若い人たちが4年、5年続けて1つのチームを作るには今すぐの1年では難しい、というところまで(低迷が)来てしまった。いい形ができたと思ったら、引きます」。長期的な視点を入れ、小笠原2軍監督の意向も踏まえながらチーム作りをすると明言。異例の「禅譲」を前提とした森体制になる。

 小笠原監督への流れを考えていた落合博満GM(62)がチーム状況を冷静に見て方針転換。同GMが白井文吾オーナー(88)と相談の上、森ヘッドの「リリーフ」案を通した。同2軍監督を1軍ヘッド格として昇格させるプランも白紙に。急転人事だったが、球団内で意見は一致した。

 森監督はFA去就で揺れる大島と平田の交渉にも出馬し、これまで通り「国際渉外担当」としてドミニカ共和国での新外国人視察も行う意向。「年寄りの最後のあがきと思って、いじめないで見守ってください」。中日に、異色の監督が誕生した。【柏原誠】

 ◆森繁和(もり・しげかず)1954年(昭29)11月18日、千葉県生まれ。駒大高-駒大-住友金属。駒大時代の76年にロッテのドラフト1位指名を拒否。住友金属から78年ドラフト1位で西武入団。現役時の成績は344試合57勝62敗82セーブ、防御率3・73。83年最優秀救援投手。89年から西武、日本ハム、横浜でコーチを歴任。04~11年に中日で落合政権の参謀に。12年から2年、評論家。14年から中日復帰。10、11、14~16年はヘッドコーチ。182センチ、85キロ。右投げ右打ち。