郷里の英雄に来季の飛躍を誓った。宮城に帰省中のロッテ平沢大河内野手(19)が25日、仙台・青葉城跡を訪問。独眼竜こと伊達政宗の銅像を前に、2年目の目標に「独」としたためた。プロとして独り立ちし、資格が残る新人王争いでも独走する意気込みだ。

 平沢は初めて青葉城跡を訪れた。馬上の政宗像をしげしげと眺めた。「テレビでよく見ます。有名ですよね」。郷里の英雄を前に、来季の目標を考えた。1分、2分。じっくり時間をかけた末に「独」と、力強く記した。独眼竜を前に、思いを明かした。

 平沢 プロとして独り立ちしたいという意味もあるし、来年で20歳になる。1人の人間として独立したいです。新人王争いも独走できればいいですね。

 宮城に帰省した前日24日に19歳になった。ドラフト1位ルーキーの1年目は23試合にとどまり、打率1割4分9厘。直球に差し込まれる場面もあり、プロの厳しさを味わった。「来年は今年より多く試合に出たい」と正直に言った。

 19歳は、独眼竜に刺激を受けた。その政宗は、同じ19歳の時には既に家督を継いでおり、周辺勢力との争いに乗り出していた。そのことを知った平沢は「だいぶ早いですね」と目を丸くした。「もし10年早く生まれていたら天下を取ったかも、という話は聞いたことあります。僕も(政宗のように)なれるように頑張ります」と、仙台の町を見渡しながら言った。

 手応えはある。11月末から、台湾のウインターリーグにイースタン選抜として参加。「他の人は練習している中、自分は試合が出来た。(秋季)キャンプからやっていることを試せたので、経験をつなげられたら」。生きた球でフォームやタイミングの取り方をいろいろと試した。18試合で打率2割8分、2本塁打、13打点。ウエスタン選抜のオリックス斎藤からは右翼席上段へ特大アーチを放った。「1年前より良くなってます」と成長を実感した。

 年末年始は実家で過ごし、年明けから浦和で自主トレを行う。「仙台、落ち着きますね」。故郷の空の下、しばしの休息。来年は、天下に名をとどろかせる。【古川真弥】

 ◆平沢の1年目 2月の石垣島キャンプは1軍スタートも、オープン戦で結果を出せず3月中旬に2軍降格。5月11日に初昇格したが、10打席無安打で10日後に降格。7月30日に再昇格すると、8月17日の楽天戦で通算24打席目でプロ初安打を放った。9月1日に再び降格。最終成績は、23試合、47打数7安打、打率1割4分9厘、0本塁打、3打点。

 ◆伊達政宗 奥州に名をはせた戦国大名。1567年に米沢城で生まれる。幼少時にかかった天然痘で右目を失明し、後に「独眼竜」と呼ばれる。13歳で初陣。父輝宗を継ぎ、17歳で家督相続。関白・豊臣秀吉の惣無事令(そうぶじれい=私戦禁止令)を無視し、現在の福島、山形、宮城、岩手に勢力を広げた。秀吉の小田原攻めに参陣し服属。関ケ原の戦いでは徳川方に属し、仙台藩の藩祖となった。家来の支倉常長を欧州に派遣(慶長遣欧使節)したことも有名。1636年、68歳で死去。