ロッテやヤンキースなどで投手として活躍し、日米通算106勝を挙げた伊良部秀輝氏が28日(日本時間29日)、米ロサンゼルス郊外の自宅で死去していたことが、分かった。42歳だった。

 伊良部氏が、あまりにも早く、自らの人生を絶った。現地時間の27日、連絡が取れずに心配した草野球仲間がロサンゼルス郊外の自宅を訪れた際、首をつっていた伊良部氏を発見し、警察に通報。現場検証を終えた担当官は「99・9%自殺」と鑑定したという。

 最近受けた雑誌のインタビューでも「僕としては日本に帰りたいです。英語も話せないし。もし話せたとしても日本がいいですね」と答えているように、日本への帰国を希望していたという。しかし昨年5月、ロス近郊で酒気帯び運転で逮捕。裁判所から講習プログラム受講が義務付けられていたことなどの理由もあり、同地に滞在していた。

 自宅周辺の住民によると、約1カ月前、離婚したという。最近は草野球仲間以外との交友関係も少なく、あまり外出することもなかったという。過去1年ほどは、精神科の病院に通院していたとの情報もある。自宅の近隣住民も“変化”を感じていた。フォイアリクトさんは「1カ月前に見た時は、とても落ち込んでいる様子だった。以前、見たような元気さはなかった」と証言。また知人男性の阪下さんは、この日、自宅前に献花し「彼は天国に行くことを決めたのだから、我々はそれを受け入れないといけない」と話した。

 周囲と疎遠となる一方で、8月にドジャースタジアムで東日本大震災のチャリティー試合を企画。知人には「埋もれている若い選手たちに教えたい」と、指導者として球界に恩返ししたい気持ちを明かしていた。

 現在、遺体は警察当局に安置されており、数日内に正式な検視が行われる。

 ◆伊良部秀輝(いらぶ・ひでき)1969年(昭44)5月5日、兵庫県尼崎市出身(生まれは沖縄県)。尽誠学園(香川)のエースとして86、87年夏の甲子園出場。87年ドラフト1位でロッテ入団。プロ同期は立浪和義(中日)ら。93年には清原(西武)の打席で当時国内最速の158キロをマーク。97年にヤンキース移籍。6年間のメジャーを経て日本に復帰した03年、13勝を挙げ阪神の18年ぶりリーグ優勝に貢献。04年オフに戦力外となった。09年6月に米独立リーグのロングビーチ・アーマダで現役復帰し、8月には四国・九州アイランドリーグの高知と契約して2試合投げた。09年当時の身長、体重は192センチ、98キロ。右投げ右打ち。