元阪急外野手で4番打者も務めた矢野清氏が11月20日午前7時22分、肺がんのため兵庫県芦屋市の病院で亡くなっていたことが2日、明らかになった。74歳。愛媛県出身。告別式は近親者で行った。喪主は妻洋子(ようこ)さん。

 愛媛・八幡浜高からオリックス前身の阪急に59年に入団。長らく1軍定着できなかったが、68年には才能を開花させた。94試合出場で打率3割1厘、27本塁打。遅咲きで「10年目の新人」とも呼ばれ、西本幸雄監督の阪急V2に貢献した。69年は球宴初出場など25本塁打を放った。

 70年を最後に現役引退。通算493試合出場で打率2割2分7厘、64本塁打、159打点。その後はスカウトなどを歴任し、オリックス球団本部長を00年10月から3年間務めた。同年ドラフトで巨人入りを熱望していた敦賀気比・内海の強行指名に携わった。