目の前で、母親と息子が、激しい攻防を繰り広げていた。女子レスリング界のレジェンド山本美憂(42)と、長男で20年東京五輪の男子レスリング日本代表候補、アーセン(19)。山本の25日、RIZINさいたまスーパーアリーナ大会での総合格闘技デビュー戦に向け、初めての親子スパーリングだった。

 場所は、東京・馬込の山本“KID”徳郁が経営するジム。大会出場が決まってから、山本は居住するカナダ・トロントから、日本で調整を続けていた。ジムには長男のアーノン君(10)も遊びに来て、母親の練習をながめていた。そのジムで1日、4~5時間みっちり練習する。午前中は打撃やワザの確認。午後からはミット打ち、スパーリングを行う。

 デビュー戦について山本は「もちろん勝つつもりだけど、総合格闘技デビュー戦は、今後への第1歩。これが私のメインではない。自分のメインはまだ先。だから、今回は楽しみなんです」と、初挑戦への喜びを強調した。

 思えば、五輪競技になるかどうかも分からない女子レスリング界で、小学生時代に社会人の大会に出場していた。ミュンヘン五輪男子レスリングに出場した父・郁栄氏の英才教育を受けた山本は、13歳で全日本選手権優勝。17歳で世界選手権に最年少で優勝し、94、95年と世界選手権連覇。当時、五輪競技に入っていれば間違いなく金メダルを取った先駆者だった。

 04年のアテネで正式に五輪種目に採用されると、結婚し引退していたが現役復帰。五輪出場を目指したが、年齢と厚い選手層に阻まれた。12年のロンドン五輪への挑戦も失敗。それでもあきらめず、カナダ国籍を取り、カナダ代表としてリオ五輪出場を目指した。「トロントに住んだのは、いろんな民族が住んでいる町で、年齢や国籍とかで差別されることもなかったから」。集中できる環境で、五輪へのラストチャンスへかけたが、山本の階級は五輪予選が行われなかったという。

 「このままやめられない、レスリングを続けたいと思ったけど、五輪へ向かったほどの集中力もなく、そんなときにRIZINから話がきた」と山本は言う。RIZINと専属契約を結び、新たな挑戦へ気持ちを切り替えた。総合格闘技では先輩の弟・山本“KID”徳郁の指導を受け、息子と同じ目標に向かい一緒に練習する機会も得た。「今は、最高に幸せ。これがあるから五輪にいけなかったんだと思う。これが、自分に合った幸せなのかな、と」。女子レスリング界のレジェンドは、新たに総合格闘技界の金メダルを目指す。「将来は、RIZINのカナダチームをつくるのが夢」と、新たな夢も生まれた。【桝田朗】