22歳のホープが11月14日にプロデビューした。川島ジムの川浦龍生。タイ人を初回から圧倒して2回TKO勝ち。左ストレート、左フック、右ボディーなどで3度ダウンを奪い、最後はレフェリーストップ勝ちとなった。

 「会長から長いラウンドをやって見せろと言われた。足を使いたかったが、相手が出てこないので詰めたら」。早期決着に物足りなさそうだった。それでも「プロは華やかで楽しかった」と初々しかった。

 6回戦のB級デビューとアマ経験がある。ボクシング好きの父信夫さんに勧められ、小5から地元徳島のアマジムに通い出した。徳島市立高ではインターハイ、選抜で優勝。中大に進学してアマ戦績は38勝(6KO)14敗。1年で国体3位が最高で、3、4年はケガに悩まされた。

 それでも「一花咲かせたい」とプロ入りを決意した。入門ジムに迷いはなかった。故郷のヒーロー川島郭志会長(46)のジム。中1の時に地元ジムでの教室で初対面し、高校時代にも県の強化の一環で1度指導を受けた。父も大好きで、川浦には憧れの人だった。

 打たせずに打つ。会長はアンタッチャブルといわれたテクニシャンで、WBCスーパーフライ級王座を6度防衛。父郭伸さんから英才教育を受け、海南高時代に鬼塚、渡久地を破ってインターハイを制したアマエリートだった。

 ただし、川浦は同じアマ出身もそれが関門だった。会長は00年にジムを開いた時に誓ったことがある。「王者を作るまではアマ選手のスカウトはしない。結果を出して、胸を張ってスカウトできるようになりたい」と。練習生集めに悩むジムが多い中で大看板の会長だが、信念を守っていた。

 川浦は上京した両親とジムを訪れ、入門をお願いした。ジムからは2人が3度挑戦も日本王者はまだ誕生していなかった。熱い訴えに会長もリングでの動きをチェック。「なかなか動きがよかった。同じ地元だったし」と受け入れた。

 4月末には日本ウエルター級で有川稔男が待望のジム初の王者になった。入門願いに行ったのはその挑戦が決まったころ。会長も有川の王座奪取に自信を持っていたことで、川浦に運も味方し、有川も無事に王座獲得となった。

 プロテスト受験合格も9月、入門からデビューまで8カ月かけて鍛えた。会長は「アウトボクシングだがパンチもあって、メインを張れる選手」と評価する。川浦は「出身、サウスポー、階級、カウンターと同じところが多い。やるからには世界王者になりたい」と笑顔で話した。川島2世が開花するか。【河合香】