大関琴奨菊(31=佐渡ケ嶽)が初優勝に輝いた初場所後、話題をさらった人がいた。内助の功に徹した祐未夫人(29)だった。大関への献身的な支えと、その容姿も相まって、話題が沸騰した。自分にも、ほかの担当の同僚から「どんな人?」と問い合わせが多く来たほど。結婚が、こんなにも好影響を与えたとなると、未婚者への「結婚のススメ」も増えそうだ。

 琴奨菊と祐未夫人の交際は13年から始まった。その数カ月後の九州場所で、大関は右大胸筋を断裂。力士生命を脅かされるほどの大ケガを負った。「自分のいいときの感覚と、ケガしたときの感覚が違い、力が落ちたんじゃないかとか、もう限界なんじゃないかと思った時期もあった」。

 そこで、前向きな言葉をかけ続けたのが祐未夫人だった。当時を述懐し「私自身が心を折らせてはいけないと思いました。強い気持ちで、2人で信念を持って懸命に頑張りました」。

 琴奨菊は言う。「常に明るく私を支えてくれて、病院にも一緒についてきてくれた。『2人の未来のために、頑張って乗り越えよう』ということを言ってくれて…。頑張って行こうと、あらためて思えたのは彼女の存在でした」。

 父親の仕事の関係で、小学6年生から4年間、スウェーデンに住んでいた祐未夫人。日本語に加えて英語、スウェーデン語と「スウェーデンに住んでいるときに、ロシア人の友だちにずっとロシア語で話されて、自然に覚えました」というロシア語を話せる。そして、大学時代には手話サークルで手話を学び、ボランティア活動もこなしていたという。琴奨菊は「海外の経験もあるから、すごく前向き。いろんなことに向上心がある」と尊敬のまなざしを送る。

 2人を結びつけたもともとのきっかけは、祐未夫人の大学時代。当時、両国国技館で、外国人をサポートするアルバイトをこなしていた。そこで知り合った相撲関係者を介して、交際に発展した。

 琴奨菊のプロポーズは、自らの半生を物語にしたためた6ページの絵本だった。その結末に「ヴァンクリーフ&アーペル」の指輪を入れておき、結婚を申し込んだ。祐未夫人は涙を流して喜んだという。その姿を見た大関は「勝っても負けても(周囲に)言われるのは、私以上に彼女になる」。悲し涙を流させまいと誓った。

 祐未夫人が力強く支えて、それに引っ張られる形で奮起した琴奨菊。この2人だからこそ、実ったのだろう。【今村健人】