残念ながら、お目にかかったことも、話を聞いたこともない。「土俵の鬼」と呼ばれた初代横綱若乃花であり、元二子山理事長の花田勝治さんに。

 周りの人からは「厳しかった」ということを聞く。弟子にも、自分自身にも。そして豪快な伝説も、いくつも耳にした。若かりしころ、兄弟子だったあの力道山と、田んぼに落ちたスポーツカーを2人だけで持ち上げたほどの怪力だったとか…。聞けば聞くほど、すごい方だと感じていた。

 孫弟子に当たる稀勢の里(30=田子ノ浦)が「土俵の鬼」の化粧まわしを着けて横綱土俵入りをこなしたことで、そのいでたちが再び思い起こされたのが、ここ1カ月だった。先述したように、ご本人に直接お会いしたことはないが、印象に残る出来事が1つあった。数年前、親族の方にお会いした際に、飾られていた「字」が目に留まった。それは花田さんが好んでよく書いたという、不思議な字体だった。

 花田さんは「氣」という字が好きだった。書かれていたその字は確かに「氣」。ただ、4画目の“はらい”と言えばいいだろうか、それが長かった。さらに、その上に「腹」という字を左に90度倒して書いていた。何と読むのだろう-。そう思って眺めていたら、意味を解説してくれた。

 「気はなが~く、腹は立てず」。

 土俵の鬼と呼ばれた花田さんがいつから、この心構えを持っていたのかは分からない。ただ、稀勢の里の先代師匠であり、花田さんの弟子だった鳴戸親方(元横綱隆の里)は糖尿病に苦しみながら克服し、30歳で横綱に昇進した。この言葉通り、辛抱強く待ったかいがあったことだろう。

 ただ、ときは流れて今に至る。あらためて振り返れば、これはまるで稀勢の里のファンら、見守る人たち全員に向けられていた言葉のようにも感じられてしまう。

 「気は長く、腹は立てず」。土俵の鬼の教えが、心に染みてきた。【今村健人】