ボクシングのWBC世界スーパーバンタム級王者長谷川穂積(35=真正)が9日、神戸市内で現役引退を表明した。世界王者のまま引退するのは国内では初めて。9月に5年5カ月ぶりに世界王座に返り咲き、現役を続ける考えもあったが、希望していた王者のままリングを去ることを決断した。今後は実業家や指導者への道を模索する。勇敢な打ち合いで魅了したレジェンドが、プロ17年間の現役生活に終止符を打った。

 多くの修羅場を乗り越えてきた長谷川の顔は、晴れやかだった。

 「私、長谷川穂積は9月16日の試合を最後に引退することを決めました。自分自身に対して、もうこれ以上証明するものがなくなったのが1つ。もう1つは、前回以上に気持ちを作るのが非常に難しくなった」。引退を決断した理由も、詰まることなく滑らかに口にした。

 迷い、悩んだ末に、望んでいた結論に達した。9月の世界戦で5年5カ月ぶりに王座に返り咲いた。試合45日前に左手親指を脱臼骨折していたが、その拳で打ち合いを制した。真骨頂の勇敢な姿で健在ぶりを見せ、現役を続ける気持ちも芽生えていた。「やろうかな、もういいかなとずっと考えていた」。だが、11月になって対戦を夢見ていた5階級王者ドネアが敗北。体を心配する関係者から強い説得も受け、同中旬にグローブを置く決意を固めた。

 美学を貫いた。5度防衛後に死去した大場政夫、王座返上の約1年後に引退届を出した徳山昌守らはいるが、王者のまま引退するのは国内では初めて。「ボロボロになってやめるのも1つだけど、多少の余力を残してやめるのも1つのやめ方。今が一番美しい。前回で自分が強いか、強くないかの結論が出た。ご飯と一緒でおなかいっぱいだとおいしさが分からない。腹八分目くらいがちょうどいい」。最高の引き際に笑みも浮かべた。

 2度の王座陥落、10年10月には最愛の母裕美子さんの死去もあった。挫折や悲しみを、不屈の魂で克服。抜群のスピードと攻防一体のスタイルで日本中を沸かせてきたサウスポーは、かけがえのない経験をもとに新たな道を歩み出す。神戸市内でタイ料理店の経営に携わるなど現在も実業家としての一面を持つが、指導者としても期待がかかる。

 「ボクシングは人生のすべて。これからも何かできることをしていきたい。長谷川穂積はいつまでも長谷川穂積なので。また、新しいステージでチャンピオンになれるように頑張りたい」。第2の人生へ、始まりのゴングを聞いた長谷川は目を輝かせた。【木村有三】

 ◆世界3階級制覇 日本人では亀田興毅、井岡一翔、八重樫東、長谷川穂積の4人。国内ジム所属としてはベネズエラ人のホルへ・リナレス(帝拳)も含め5人。

 ◆世界王者のまま引退 国内ジム所属では長谷川が初。世界戦勝利を最後にリングを去ったのは、WBA世界フライ級王座を5度防衛中だった73年1月に交通事故で死去した大場政夫(享年23)、06年2月の防衛戦勝利後にWBC世界スーパーフライ級王座を返上、07年に引退した徳山昌守がいる。新井田豊は01年8月のWBA世界ミニマム級王座獲得後に引退表明も、02年12月に現役復帰。同王座を再び獲得したが、08年ローマン・ゴンサレスに敗れ引退。