運命の場所で歴史を動かす。ボクシングのWBA世界ミドル級王者村田諒太(32)の初防衛戦(4月15日)の発表会見が22日に都内で行われた。欧州王者を返上したばかりの同級10位エマヌエーレ・ブランダムラ(38=イタリア)を迎える会場は横浜アリーナ。同王者だった竹原慎二が初防衛に失敗した日本ボクシング界因縁の地だ。日本人初のミドル級での防衛成功へ、舞台は整った。

 その一致がふに落ちたように、村田はわずかにうなずいた。「そうですね、たしかに。記録を超えるには良い場所ですね」。思い出したのは、これまでで日本人が唯一挑んだミドル級の防衛戦。会場は同じ横浜アリーナだった。竹原の名前を聞くと、意気に感じるように口角を上げた。

 96年6月、前年に日本人初のミドル級王者となった竹原は、同級1位ジョッピー(米国)を迎えてV1戦に臨んだ。戴冠の快挙で注目度は急上昇し、会場を埋めたのは1万4000人。ただ、その目に映ったのは世界の壁の高さ。竹原は初回にダウンを喫し、9回TKO負けに終わった。日本人が重量級で活躍する夢がはかなく消えてから20年あまり。2人目の同級王者となったのが村田。歴史は奇妙な縁をつくり出す。今回は20年東京五輪の余波で会場選択に苦労する中、決まったのが横浜だった。

 村田もV1戦へ、注目度はさらに上がっている。似た境遇だが、「初防衛戦は難しいと言われますよね」と自ら切り出した。達成感、ハングリー精神の欠如などを原因に挙げ、「王者と言われるのは重圧ですが、そのあたりも含めて防衛できるか、その先がある選手なのか、判断されると思います」と己を見つめた。

 アマ時代も含めてイタリア選手との対戦経験はないが、「五輪金メダリストもいる。技術的には高いイメージ」とした。ブランダムラの戦績はKO勝ちが少ないが、「KO少なくて勝ち続けている選手の方がやりにくい。10、12回を戦うすべを知っているので」と警戒。「俳優さんかなと思うくらい。見た目では勝てない」と認めたその顔をどう殴るか、練習で詰めていく。

 待望のベルトは昨年末に届いた。顔と名前が刻まれた世界に1本のベルトはただ、試合で敗者となればその日だけ相手に渡すことになる。「一晩たりとも渡したくないですね」。1万6000人を収容予定の因縁の会場で死守し、これまでと同じように「初」の称号を手にする。【阿部健吾】

 ◆96年6月24日のWBA世界ミドル級タイトル戦(横浜アリーナ) 初防衛戦の王者竹原慎二が完敗で、日本人初のミドル級王座から陥落した。初回に同級1位ウイリアム・ジョッピー(米国)の右ストレートでダウンし、最後までスピードに乗ったアウトボクシングを取り戻せず。9回2分29秒にレフェリーストップでTKO負けした。テレビの生中継なし、会場も後楽園ホールだった前年の王座奪取時と違い、ゴールデンタイムの生中継、会場は1万4000人を集め、世界的プロモーターのドン・キング氏も来場した。