振り返る暇もなかった。全日本プロレスの代表取締役社長、三沢光晴(37)は、猛スピードで1999年を駆け抜けた。ジャイアント馬場さん(本名馬場正平、享年61)の死去という「今でも信じられない」苦難を乗り越えて全日本プロレスを引っ張ってきた。そんな1年も今日で終わる。締めくくりに、三沢自身に90年代最後の年を振り返ってもらった。

 -とにかく、すごい1年でした

 三沢

 いろいろありすぎたかな、というね。まあ、人生にはいい勉強になりましたよ(笑い)、いい意味でも悪い意味でも。

 -ほとんど休みなしで突っ走って

 三沢

 体力的な疲れはなんとかなるけど、精神的な疲れは取るのが難しいからね。今年は試合前に寝てることも多かったよ、控室でね。精神的に疲れてるから動きたくないとか、動けないとかね、あった。

 -社長の座には慣れましたか

 三沢

 社長の座って、居心地は良くないよね。結局(社長業は)馬場さんだからOK、という部分があったわけじゃない。で、オレになるとやっぱり、ね。比べられる部分もあるし、「馬場さんならそんなことしない」って比べるファンもいるしね。オレ的には比べるもんでもないし比べてほしくないと思ってるし。馬場さんにはなれないし、なれるもんでもない。

 -その馬場さんが逝った、と聞いた時のショックは今も残っている?

 三沢

 実感的なものは、はっきり言って今でもないよ。オレの場合、身内とか(亡くなったことが)ないから。人が亡くなるってこういうもんかな、っていう不思議な感覚というか、ほら、人間、オレは絶対死なないんだ、と思ってる人間もいるわけじゃない。馬場さんは死なない人だろ、と思ってたとこあるし……。まだ「いる」感覚だよね。今なら、あ、今年はお歳暮ないんだ、とか年賀状書いちゃいけないんだ、というのもあるしね、うん。

 -つらくても、リングは待ってくれない。川田利明(36)欠場の時には、三沢選手や小橋健太(32)選手が1日2試合行った

 三沢

 みんなで力合わせて盛り上げていくことも大事だと思うよね。ケガしたヤツもそれに報いるように復帰した時は頑張ってくれればいいやって思うし、それが分かんない人間は終わっていくと思うしね。

 -レスラー三沢としての1年は

 三沢

 調整不足だね。人間ね、そう完ぺきにはいかないよ。強さを一点に集中することはできても、持続が一番難しいからね。だから練習不足の今年はベルト持ってないことに不安もない。来年はこんだけやったんだから勝てなきゃおかしいだろ、くらいにしたいよね。そうやってお互いに競い合えればいいよね。

 -交流戦については

 三沢

 オレら世代に任せてくれればあり得るかもね、ってところ。その権限を(オレたちの世代に)与える、という話になれば分からん、という。現段階では(可能性は)ゼロに近いでしょ。でもやりたくない、ってことはないですよ。ただ(交渉が)オレら世代じゃなくなったらオレはもう、話には入らないし、次の世代の人たちが話し合えばいいことだし。まあ、こうすれば、っていうのはあるんだから、急には無理でも来年はそういうステップにしたいよね。

 -オレら世代へのこだわり?

 三沢

 やりたくないのに試合を組まれたら、やっぱりレスラーっていい試合は望めないと思うよ。見る方だって、お互いが戦いたいという気持ちを持って戦ってほしい、と思ってると思うしね。来年の(全日本の)シリーズのカードにしても、オレが普通に試合できる状態だから思い切ったことができる部分もあるし。オレが試合できなくなって口だけ出すようになったら、選手だって冗談じゃねえや、ってなるよ。

 -全日本の2000年は、どうなっていくのか

 三沢

 レスラーとして覚えてほしいよね、選手を。でかいですね、何やってるんですか、っていうの多いじゃん、オレらの場合。そうじゃなくて、やっぱりレスラーとして名前を覚えてほしい。若いヤツがそうやって出てこないと時代は変わらんよ。

 -だから2000年は勝負する

 三沢

 プロレスって、ガラッと変えられる可能性のある仕事だからね。野球のルール変えるって難しいと思うけど、プロレスはもっと自由だから。いい方向に変えていきたいし、変えなきゃいけない部分もある。

 -そして三沢自身は

 三沢

 いくつになっても頑固オヤジでいるだろうなと思うよ。いいにしろ悪いにしろ、人の意見に左右されるような弱い精神ではいけないと思うし、己が信じた道を、ね。今の時代、まじめにやってるヤツがバカ見ちゃう世の中だけど、それじゃあ寂しいからね。

 最後にファンにメッセージを、と聞くと「プロレスをずっと好きでいてください」と言った。そして三沢は、2000年も「プロレスを好きでよかった」と思わせる激闘を続けていく。◆全日本の99年と2000年

 新春シリーズで小橋、川田が負傷。その直後に馬場さんが永眠した。「みんな不安はあったと思う」(三沢)中で、それでも全日本らしい戦いは継続。2月には鶴田の正式引退もあったが、5月2日には東京ドーム大会開催。その後、代表取締役社長に就任した三沢のもと、9月には武道館での5大シングル、全試合ファンによる抽選でカード決定など、ざん新なアイデアでファンを喜ばせた。

 2000年は、全タイトル戦が組まれた新春ジャイアントシリーズ(2日開幕)でスタート。1月31日には東京・後楽園で「ジャイアント馬場一周忌追悼興行」、2月17日には北海道立スポーツセンターでプロレスこけら落としのビッグマッチを予定している。さらにチャンピオン・カーニバルのトーナメント化構想もあり、三沢新体制は来年も歩みは止めない。(1999年12月31日付紙面から)