突然の死から3日。プロレス界の枠を超えて、日本全国でノアの三沢光晴さん(享年46)を追悼する動きが出始めた。00年8月に旗揚げしたノアの全国進出の出発点となった秋田県湯沢市(旧皆瀬村)に16日、石碑の建立案が浮上。興行の実行委員長の高橋司さん(40=公務員)が「石碑を建てて追悼したい」と私案を明かした。三沢さんがボランティアで活動に尽力していた日本移植支援協会は特別表彰する方針を固めた。

 「プロレスで村おこしを」。その三沢さんの熱意は、地方の人々の心にしっかりと刻み込まれていた。秋田県南東部の旧皆瀬村で興行を主催してきた高橋さんは「三沢さんは地域活性に貢献してくれました。その功績をたたえて『三沢光晴さんとの思い出の地』と書かれた石碑を建てたい気持ちはある」と話した。

 05年3月に湯沢市に吸収合併された皆瀬村は、00年8月にノアが初めて行った地方大会の開催地だった。当時の村の人口は約3000人。高橋さんは93年に「プロレスでこの村を元気にしたい」と実行委員会を設立。みちのくプロレスの興行を主催していた。一方で「メジャー団体を」という夢もあった。99年に県内でテレビ放送されていた全日本にオファーを出した。

 当時、三沢さんはジャイアント馬場さんの逝去を受けて全日本の社長に就任していた。高橋さんの「村おこし」の情熱に、「地方を大切にしなければプロレス界にも将来はない」と賛同してくれたという。00年8月にノアを旗揚げした三沢さんは、旗揚げ興行の日程よりも先に、皆瀬村での興行日程を決めてくれたという。初興行には村の人口の2倍にあたる6100人の大観衆が集まった。

 三沢さんは「やるからには1度で終わらせてはいけない」と、昨年まで毎年8月に興行を続けてきた。同地ではノアの興行は夏の風物詩として定着した。「ここは温泉街なのですが、旅館のオーナーからも『ノアさんのおかげで客が来てくれる』と喜ばれていた」(高橋さん)。

 行政からの予算に頼り、入場無料で開催してきたが、06年は地方財政の悪化で開催予算が削られ、興行に「ファイナル」と銘打った。しかし、「お金を払ってもみたい」というファンが殺到。07年は500円、昨年は1000円の一律入場協賛金で開催した。「寒村を盛り上げてくれた三沢さんを、語り継いでいきたい」と高橋さんは感慨深く話した。【塩谷正人】