<プロボクシング:日本ミドル級王座決定戦10回戦>◇4日◇東京・後楽園ホール

 日本ミドル級2位湯場忠志(35=都城レオスポーツ)が史上初の4階級制覇を達成した。同級1位カルロス・リナレス(22=帝拳)との王座決定戦。序盤は元世界2階級王者の兄ホルヘ(26)譲りのカルロスのパワーに圧倒されたが、4回に左フックでダウンを奪うと形勢逆転。最後は7回39秒、カウンターの左ストレートでKO勝ちした。

 顔面は血だらけだった。2回に右目上をカット、4回からは鼻血も出た。あごも骨折か、ひびの入ったような激痛が走る。それでも、35歳の湯場は諦めなかった。7回39秒、22歳リナレスの一瞬のスキをつき、こん身の左ストレートをたたき込む。逆転KO。史上初の日本4階級制覇に、リング上で号泣した。

 元世界2階級王者の兄を持つリナレスのスピード、パワーは想像を超えた。パンチに3回までは圧倒された。「もう倒してくれ」との思いもよぎったが、心は折れない。「もっとパンチを打たせて、疲れさせよう。“打ってこい”と願った」。17回目の日本王座戦。修羅場をくぐってきたベテランは4回、左フックで最初のダウンを奪って流れを変える。その後は2度のダウンを奪って、劇的な逆転KO勝利を呼び込んだ。

 08年4月、日本ウエルター級王座から陥落。その後の日本王座戦は3連敗と限界説も出た。4階級制覇のチャンスとなったこの日の王座決定戦は「勝っても負けても引退」を決意した。昨年12月26日から今年1月22日まで単身タイ合宿を敢行。正月も1月19日の35歳の誕生日も関係なく、練習だけに打ち込んだ。

 調整は順調にきたが、試合直前にハプニングが待っていた。試合3日前の1日の練習中に、突然左肩の関節が外れる。試合前日3日は「もう試合ができない」とホテルで泣いた。だが、最後のあがきでストレッチをしていると、奇跡のように左肩の関節が入った。「神様が努力を見てくれていた」と振り返った。

 「人生でも、諦めなければ、結果はついてくる。それを見せられたことはうれしい。次は5階級制覇を狙う」。堂々と引退を撤回した35歳だったが、緊張から解かれた控室では「体中が痛い。明日生きてるかな」とぼそりと言った。【田口潤】

 ◆湯場忠志(ゆば・ただし)1977年(昭52)1月19日、宮崎・三股町生まれ。宮崎日大2年で都城レオスポーツジムに入門。96年4月プロデビュー。00年10月に日本ライト級、02年3月に日本スーパーライト級、05年1月に日本ウエルター級王座獲得。183センチの左ボクサーファイター。家族は妻良子さん(34)長男海樹くん(13)。プロ通算戦績は40勝(30KO)7敗2分け。

 ◆複数階級制覇

 世界王座ではパッキャオ(フィリピン)とデラホーヤ(米国)の6階級が最多記録。日本王座では今回の湯場の4階級(ライト~ミドル級)が最多で、3階級はほかに2人。五代登(ファイティング原田)が82年から89年にフェザー~ライト級、前田宏行(角海老宝石)が94年から04年にライト~ウエルター級を制している。