4月10日で65歳の誕生日を迎えるため、今場所が定年前最後の本場所となる日本相撲協会の千賀ノ浦親方(64=元関脇舛田山)が、大相撲春場所12日目の24日、春場所会場のエディオンアリーナ大阪内で記者会見した。

 高校-大学とアマ相撲界で活躍し、拓大卒業時には地元の金沢市役所への就職が内定していた。それでも飛び込んで、40年以上を過ごした相撲界を「入って良かった。市役所に入っていたら、もう定年で終わっている。考えただけでゾッとしますよ」と笑った。

 現役時代の良き思い出は、80年九州場所で唯一の金星を挙げた2代目横綱若乃花との一番と、小結時代の83年名古屋場所で横綱千代の富士を破った一番を挙げた。初土俵から約1年後の75年名古屋7日目に右かかとを剥離骨折。救急車で運ばれる途中で「もう再起できない。終わったな。いつやめようか」と観念したという。それでも「ガムシャラにやったのが良かったかな。30歳ぐらいで年寄名跡が手に入り気楽に出来たことや、若い頃に踏んだ四股やてっぽうが効いたかな」と38歳まで現役を続けられた要因を話した。

 今後は定年退職を迎えた親方を最長70歳まで再雇用する、業務委託契約を利用して協会に残る。後継者は未定で4月上旬までに決めるという。最後に、長女の彩奈さんから花束を受け取り、笑顔で会見場を引き揚げた。