かど番の大関琴奨菊(32=佐渡ケ嶽)が、西前頭筆頭の御嶽海に敗れ4敗目を喫した。急成長中の新鋭に簡単に左差しを許し、あっさりと寄り切られた。6日目まで2勝止まりは、かど番場所では自己ワースト。大関残留へ、黄信号がともってきた。

 自慢の馬力が、伝わらない。琴奨菊が、2横綱1大関を撃破してきた御嶽海にあっさり屈した。立ち合いで相手の顔を張ったが、空いた右脇に左腕をねじ込まれ、上体が浮き上がる。体勢を入れ替えられると、もう粘る力は残っていなかった。あっけなく土俵を割り、天を仰いだ。

 支度部屋に戻り、風呂から上がっても唇はかんだまま。問い掛けに、しばらく黙り込んだ後「自分が考えていた流れより、相手の(立ち合いの)決め方、角度が強かった。それだけ」と絞り出した。

 11年九州場所で昇進してから、歴代10位の32場所守ってきた大関の座が、危うくなってきた。6日目で白星2つにとどまったのは、かど番7度目で初めて。まだ3横綱3大関との対戦を残すだけに、デッドライン寸前まで追い込まれた。

 気力十分で、新年を迎えたはずだった。昨年末に、祐未夫人(30)が待望の第1子を妊娠したことを明かした。「男の子みたい。胎動が分かるから。日々成長してると気付かされる」。4月下旬に父になる責任感から、やる気をみなぎらせていた。古傷の左膝には「ずれて緩い感覚がある」と不安をこぼしていたが「悔いのないようにやるだけ」。その強い決意が、空回りしている状況だ。

 「しっかり自分を立て直して、1ついい相撲をすると違うと思いますから。そういう意味では我慢だね」。ちょうど1年前は、日本出身力士として10年ぶりに賜杯を抱いた思い出の初場所。このままでは終われない。【木村有三】

 ◆かど番 大関が負け越せば陥落する場所。将棋や囲碁の7番勝負で、負けが決まる1局を「かど番」と呼ぶことに由来。大関からの陥落の条件は1889年(明22)1月に「病気などで2期不勤(2場所連続休場)」と定められたのが最初。1921年(大10)5月に「2期病気欠勤・成績不良」、57年(昭32)9月に3場所連続負け越しと改正。69年名古屋場所で、2場所連続負け越しで関脇に陥落し、翌場所で10勝すれば大関に復帰すると改正された。