大関稀勢の里(30=田子ノ浦)が粘り強く単独トップを守った。西前頭3枚目の勢の出足に後退したが、小手投げを残して得意の左四つに。粘る相手に圧力をかけ続けて寄り切った。27秒7の相撲で1敗を死守。12日目での単独首位も前日同様に12年夏場所以来で、当時は13日目から崩れた。

 連日、歓声と悲鳴が交互に飛び交う。ファンにとっては心臓に悪い。だが、そこで負けないのが、今場所の稀勢の里。支度部屋ではヒヤリとしたそぶりをおくびにも出さない。自身の攻めは「いいんじゃないですか。集中して行けました」。取りこぼさなかったことには「今日は今日で、明日は明日ですから」。とにもかくにも勝ち切った。1敗で、単独首位を守った。

 立ち合いは13戦全勝の勢に押し込まれ、またも右足が俵にかかった。左を差そうとすると、今度は小手に振られる。ここまでは後手に回っていた。それでも、下半身はぶれなかった。右で張って反撃。左四つとなり、残されると差し手を抜いて上手を切った。そして、再び左をねじ込む。右上手も引いて、もう万全。27秒7の我慢を実らせた。

 劣勢になることが増えた後半戦。今までなら、落とした星もあったはず。だが、今場所は執念が違う。それを支えるのが下半身の粘りだった。事あるごとに「四股が足りない」と評されていた昨年末。1人で黙々と踏み続ける姿があった。

 年間最多勝を獲得した1年間の疲れで、首や肩の痛み、そして膝の蜂窩(ほうか)織炎で熱も出た冬巡業を途中で離脱した。帰京後に治療し、数日間は安静。癒えると、東京・江戸川区の部屋で体を動かし始めた。しかし、あいにく部屋は土俵を崩すことに。すると、同じ区内の武蔵川部屋に連絡を取った。「四股を踏みに行かせてください」。

 武蔵川親方(元横綱武蔵丸)は言う。「2時間くらい、四股やすり足を延々とやっていた。四股は足りなくない。足りないのは自信だよ。自分の相撲への自信」。稀勢の里も言う。「基本はだいぶやっていた。そのくらいしかやることがないからね」。終わりがない基本こそ、自信を培うには必要な“修練”だった。

 12日目の単独首位は12年夏以来。ただ、当時は2差から縮まった日だった。今場所は違う。13日目は昨年夏場所から4連敗中の鬼門だが、豪栄道が負傷して休場する可能性も出てきた。それでも集中は切らさない。「明日は明日でしっかりやるだけ」。先は見ない。【今村健人】

 ◆稀勢の里の12日目の単独首位 12年夏場所以来2度目。10勝1敗で2差をつけて単独首位に立っていたが、栃煌山に黒星。栃煌山と旭天鵬に1差に迫られた。13日目も横綱白鵬に敗れてとうとう並ばれる。14日目は大関日馬富士を倒すも、千秋楽では栃煌山が不戦勝となり旭天鵬も勝ち進んだ中で、把瑠都に上手投げで敗れて優勝を逃した。決定戦で旭天鵬が優勝した。