右膝に不安を抱える大関貴景勝(22=千賀ノ浦)が、かど番となる大相撲名古屋場所(7日初日、ドルフィンズアリーナ)を休場することが決まった。4日、名古屋市の千賀ノ浦部屋で明言した。途中出場の可能性も完全に否定し、新大関から2場所で関脇へ事実上、転落することとなった。大関昇進2場所での陥落は、現行制度となった69年名古屋場所以降では、00年名古屋場所の武双山以来、2人目となった。

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右膝の回復を主張し、出場を望んでいた貴景勝が、翻意した。この日の朝稽古後、師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)に「出させてください」と訴えたが、「休場しろ」と説得する師匠は折れなかった。午前10時頃から約4時間30分の話し合いは平行線。一時中断後、テレビ出演や治療を経て、午後6時30分から約15分間、部屋で再度、師匠と顔を合わせた。部屋から出てきた貴景勝は報道陣に「休場します」と一言。全休するかの問いに「もちろんそうです」と、事実上の大関陥落を受け入れた。「師匠の判断は絶対。僕も納得している」と、淡々と話した。

調整遅れは顕著だった。先月12日に土俵上での稽古を再開。名古屋入り後は、2日から若い衆を相手に相撲を取る実戦的な稽古を始めたが、関取衆との申し合いは最後まで行わなかった。貴景勝は「今までも申し合いをしないで(本場所に)出たことはある」と強気だったが、千賀ノ浦親方は「若い力士と取っただけで相撲勘というのは戻るわけない」と断言した。

頭に浮かんだのは、小学生の時から目標に掲げていた横綱の地位だった。最終的な休場の申し出は、貴景勝本人から。「何年後も見据えて力士生活がある。最後の番付を目指すには、しっかり治さないといけない」と将来を見据え、決断した。

大関復帰へ、9月の秋場所では2桁白星が求められる。今後は帰京して、専門のトレーナーなどと治療、リハビリに励む予定。「5、6年後にこの経験があったから今の自分があると言えるくらい、もう1度気合を入れ直してやるしかない」。苦渋の決断に至った22歳は、反骨心をバネにさらなる成長を期した。【佐藤礼征】