大相撲境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)の天野光稀(あまの・みつき)さんが28日午後6時20分、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。日本相撲協会が29日、発表した。28歳だった。響龍さんは、春場所13日目の取組で頭部を強打。救急搬送されて入院中だった。現役力士の死去は、昨年5月に新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全でなくなった三段目の勝武士さん以来。取組で負傷した力士が死亡するのは異例の事態となった。

   ◇   ◇   ◇

懸命の祈りも届かなかった-。響龍さんが亡くなり、電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「何が原因か、因果関係は分からない。こんなことが起きるとは誰も思っていない」と突然の訃報に戸惑いを隠せなかった。

響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭から落ちた。近くで見ていた関係者によると、頭部が俵と土俵の間に挟まるかたちで首に圧力がかかる不運があったという。意識はあったがうつぶせのまま立つことができず、倒れてから約1分後に、呼び出し3人があおむけにした。審判の親方衆や医師らが容体をうかがうなどし、倒れてから約6分後に担架に乗せられて土俵を降り、都内の病院に救急搬送された。響龍さんは救急搬送された際、協会関係者に体のしびれにより首から下が動かないなどと訴えていた。

救急搬送された翌日には、師匠の境川親方(元小結両国)が協会広報部を通じて「いま、一生懸命、治療に専念しています」とコメントしていた。関係者によると、入院していた響龍さんは、徐々にまひした体が動くようになっていたという。しかし、28日に容体が急変し、死去した。入院生活で寝たきりの状態が続いており、肺血栓を患っていたという。また、関係者には「たんがよくたまる」などと訴えていたという。取組でのアクシデントがきっかけとなった死去は、異例のことだ。

芝田山広報部長は「搬送された後は入院していたが、意識はあって話ができるとは聞いていた。若い力士が亡くなったことは非常に切なく、残念」と悔やんだ。葬儀・告別式は境川部屋関係者のみで執り行われる。夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)まで10日と迫る中、角界が大きな悲しみに包まれた。

◆響龍光稀(ひびきりゅう・みつき)本名・天野光稀。1993年(平5)3月17日、山口県下関市生まれ。山口・響高校(現下関北高)相撲部出身で、11年5月の技量審査場所で初土俵。最高位は19年秋場所での西三段目24枚目。通算195勝206敗5休。