「爆笑王」と呼ばれ、99年に亡くなった桂枝雀さん(享年59)の長男・前田一知(まえだ・かずとも=43)が、桂ざこば(68)の弟子「桂りょうば」として大阪・動楽亭で初めて高座に上がった。

 ネタは米朝一門でも初高座で演じることが多い「東の旅」の発端。体を使った大きな身ぶり手ぶり、豊かな表情は、ダイナミックな動きで知られた父をほうふつとさせた。りょうばは「無事に終わり、ホッとしました」と笑みを漏らした。

 昨年3月に総帥の桂米朝さん(享年89)を亡くし、ざこばが筆頭に立った米朝一門。ざこばは昨年8月に、師匠の米朝さんも最大の信頼を置いていた枝雀さんの息子を預かった。

 「まだアマチュアなとこもあるけど、たいしたもんや。言うとくけど、期待大やな。場数さえ踏めば、そこそこまでいける。いや、なってもらわんと困る。兄ちゃん(枝雀さん)に申し訳ないがな」

 りょうばの初高座を見守ったざこばは、満足そうだ。「わしが魚のざこばやから、漁場の『りょうば』で」と命名。枝雀さんを実の兄のように慕っていただけに、ざこばには亡き兄弟子の面影がかぶったようで「張扇(はりせん)持つ小指の角度が、兄ちゃんそっくりやんか! なんで、ああなんねん?」と驚いた。

 そのりょうばは、20歳のころに上京し、バンド活動を始め、ドラムを担当するなど、父とは全く別の道を歩んでいた。枝雀さんの追悼企画などで落語を聴き直すうちに、子供のころから親しんだ枝雀落語の「気付かなかったおもしろさ」を知り、6年ほど前からアマチュア落語家として活動してきた。

 米朝さんの長男で一門入りした桂米団治や、先代の故桂春蝶さんの長男で父の名跡を継いだ桂春蝶らの勧めもあり、一門入りを決断。昨年8月16日に、ざこばに師事した。

 小学生時代までは父に落語を習い、アマチュア時代にも一門の本職からネタの指導も受けているだけに、43歳での遅咲き入門とはいえ、実質的には即戦力といえる。ざこばは「どんどん場数を踏ませる」と方針を決めており、すでに上方落語協会の桂文枝会長にも報告、相談したという。

 ただし、ざこばは「他のもんがやっかんだらいかん」と配慮もする。その意向をくんだりょうばは、ざこばが運営する動楽亭での雑用も積極的にこなし、座布団の整理や、鳴り物も務めている。ざこばは「これが一生懸命やりよるんですわ。まあ、鳴り物なんか、そらドラマーやったんやから、うまいからね」と目を細めた。

 師匠の期待を一身に浴び、りょうばは「腹の底から笑わせられるようなはなし家に」と誓いを立てた。

 ざこばは「はなし家は年数やない、場数。10年で200回出るの(が通常)なら、1年で300回出ればいい。自分でも勉強会を開くとかして、とにかく数をこなせ」と、りょうばの肩をたたいた。