SMAPのいない2017年が始まった。SMAPは昨年の大みそかで解散してしまった。平成の最初の頃に芸能記者になった記者は、直接、間接にSMAPをずっと見続けてきた。

 それどころか、ずっと歌い続けてきた。少年隊、光GENJI、SMAPで“カラオケ成分”の80%。残りは増位山、郷ひろみ、田原俊彦、フレディ・マーキュリー、etc.という記者にとっては大ピンチだ。

 今となっては解散騒動が起こった昨年1月の末に、在京民放5社の新年合同パーティーで、SMAPへのエールの意味も込めて「君が何かを企んでいても」(94年2月発売のアルバム『SMAP 005』収録)を200人の前で歌ったのがいい思い出だ(笑い)。8月に解散が発表されてからは、解散騒動を振り返りながら「君と僕の6カ月」(94年9月発売のシングル『がんばりましょう』のB面)を歌った。

 初めてSMAPを意識したのは、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンらが注目を集めたフジテレビ系「夢で逢えたら」の後番組として、92年4月に始まった「夢がMORIMORI」だった。

 ドラマで最初に頭角を現したのは稲垣吾郎。92年10月期のフジテレビ系連続ドラマ、月9(げつく)の「二十歳の約束」で牧瀬里穂とともに初主演した。「夢が-」で、共演の歌手森口博子がまねしていた「純平くん!」「ヒューヒューだよ!」が懐かしい(笑い)。そして93年日本テレビ系「嘘でもいいから」、94年テレビ朝日系「東京大学物語」と主演して順調にキャリアを積んでいるように見えた。

 木村拓哉は92年に一色紗英、内田有紀といったアイドル女優が女子高生を演じたフジテレビ系「その時、ハートは盗まれた」で、かっこいい先輩役。その後、同局の93年「あすなろ白書」、94年「若者のすべて」と主役を超える注目を集め、96年の「ロングバケーション」で満を持して連ドラ初主演。その後の活躍は言うまでもないだろう。

 こちらが一方的に見たり、大勢の中の一員として取材する期間が長く、初めてちゃんと口をきいたのは08年のフジテレビ系連続ドラマ「CHANGE」に主演した時。同局の宣伝担当と、撮影が行われていた、できたばかりの「湾岸スタジオ」の中をブラブラ歩いていたらバッタリ出会ってしまった。

 宣伝担当が紹介してくれて名前を名乗ったのだが、木村が「木村拓哉と申します。日刊スポーツで、いつも記事を読ませてもらっています」と頭を垂れたのだからしびれた。同ドラマで演じたのは、日本の内閣総理大臣。「やっぱり、総理になるような人間は器がでかい」と盛り上がったものだ(笑い)。

 ちなみに記者は「ブルガリ プールオム」という香水を20年近く愛用している。「木村拓哉が使っているから」と、当時つき合っていた女性にプレゼントされたのがきっかけだった。本人が現在、何を使っているかは知らないが、記者はいまだにかえられない。年下だろうが、なんだろうが、木村拓哉は「モテたい」と思う男の子のお手本なのだ(笑い)。

 それはさておき、次の芸能番記者の当番が回ってきたら、ほかのメンバーについても書いてみたい。