人間国宝桂米朝(88)夫人で、元大阪松竹少女歌劇団(現OSK日本歌劇団)の女優中川絹子(なかがわ・きぬこ)さんが27日午前1時1分、心不全のため兵庫県内の病院で亡くなった。88歳。この日夜、同県内で通夜が営まれ、喪服姿の米朝も車いすで出席した。

 長男で落語家桂米団治(55)によると、絹子さんは20年近く前から体調不良を訴え、数年後にパーキンソン病と診断。3年前から同病院に入院していた。

 絹子さんは、58年に米朝と結婚。米団治ら3人の息子を育て、最初の内弟子だった故桂枝雀さんから、30人近い直弟子に行儀や礼儀、作法を教え、上方最大の60人以上を数える米朝一門を支えてきた。

 米朝門下では一番弟子が早くに亡くなり、二番弟子が他門から来た月亭可朝(76)。3番目が故桂枝雀さんで、4番目に入門した桂ざこば(66)は、15歳で内弟子に入った。

 ざこばは「僕は15歳で入ったから、何も分からんでね。それがもう、次から次へ行儀見習いがくるんやから、ママ(絹子さん)もたまらんかった(と)思う」と、感謝した。

 ざこばは朝丸を名乗っていた20歳前後のとき、よくお金を借りに行ったそうで「あんまり借りすぎて、もうあかん(と)思うて、当時集めてた(収集)切手を抵当にしたら、10万円貸してくれた」と、秘話を明かした。

 一門を陰になり、陽になり支えてきた“母”との別れに、ざこばは、半泣きの笑顔で別れを惜しんでいた。