「やっぱ好きやねん」などのヒット曲や、歯に衣(きぬ)着せぬ語り口で知られるタレントで歌手のやしきたかじんさん(本名・家鋪隆仁)が3日未明に都内の病院で亡くなっていたことが7日、分かった。64歳だった。2012年4月に食道がんの手術を受け、仕事復帰を果たしたが、体調不良を訴えて昨年5月から療養していた。親族関係者によると身内だけで密葬を済ませており、後日にお別れの会を開く予定という。

 歌手として司会者として大阪を拠点に絶大な人気を集めた「浪速の視聴率男」が食道がん公表から1年11カ月で亡くなった。

 親族関係者によると、この日午後5時すぎ、大阪市内に住む母親のもとに、たかじんさんと前々妻との間の娘から亡くなったという知らせがあり親族に訃報が伝わった。たかじんさんの強い希望で葬儀は密葬で済ませたという連絡だったという。親族関係者は「母親も現実と受け止められないようだ」と話した。

 12年1月31日、初期食道がんの治療専念を理由に休養を発表。同4月に都内の病院で手術を受けた。主治医から「9月までは無理」とされた退院も強引に6月に強行。7月に札幌に移住した。直接栄養を補給する器具を腸に装着していたが「体は甘やかしたらいかん」と言って嘔吐(おうと)と闘いながら食事での栄養摂取に努めた。腸閉塞(へいそく)などを起こして再入院したが、入院2週間の予定を2日で強行退院。11月に別荘のあるハワイへ移り、カラオケを楽しみ、ワインを痛飲する生活を送った。大阪・北新地のなじみのスナックに顔も出すなど型破りな病との闘い方だった。

 昨年3月21日、関西テレビ「たかじん胸いっぱい」の収録で1年2カ月ぶりに仕事復帰を果たした。その後レギュラー3番組に順次復帰したが、同5月2日夜に「たかじん胸いっぱい」収録後に体調不良を訴え、再び休養に入った。親しい関係者は最初の手術の時点で「既に病状は初期ではなかった」と話す。また「元気なうちにもう1度テレビに復帰したい」というたかじんさんの強い思いから昨年3月に強行復帰したようだと話す。また12年4月の手術後に友人に「(手術は)のどから下やから歌は歌えんねん」と話していたというが懸命に闘っていた。療養中の昨年5月上旬に都内で目撃した関係者は「わずか数週間であんなにやせるものなのか」と驚くほどの姿だったという。

 昨年秋に30代の一般女性と約3年の交際を経て再々婚。闘病生活を献身的に支えてもらう中で決意した。この女性が最期まで付き添い、密葬には娘ら一部の親族も駆けつけた。

 たかじんさんは歌手として多くのヒット曲を持つ一方、視聴者の怒りを代弁するような型破りのトークで人気を集めた。声を荒らげて政治家や著名人にかみつくこともあった。レギュラー番組は軒並み高視聴率を記録したが、芸能プロの影響力が大きいとされる在京テレビ局のレギュラーは持たない「アンチ東京」を打ち出した。在阪の番組も「東京で放送するなら降りる」と公言していた。東京への対抗心が強い関西の視聴者の心情をつかみ、圧倒的な支持を得ていた。

 ◆やしきたかじん(本名・家鋪隆仁)1949年(昭24)10月5日、大阪市西成区生まれ。71年にシングル「娼婦和子」で歌手デビューしたものの、刺激的作風から発売禁止になった。76年にシングル「ゆめいらんかね」とアルバム「TAKAJIN」で再デビュー。「あんた」「やっぱ好きやねん」「ICHIZU」「未練~STILL~」「東京」などがヒット。テレビやラジオにも出演多数。主なレギュラー番組は読売テレビ「たかじんnoばぁ~」や関西テレビ「たかじん胸いっぱい」など。血液型O。