日本代表FW宇佐美貴史(23=G大阪)が日本のエースへと成長する。16日から始まるW杯ロシア大会アジア2次予選。エース候補宇佐美は、父和彦さん(52)に支えられW杯を目指してきた。前回のW杯最終予選ではベンチ要員に終わり、14年ブラジル大会は出場もかなわなかった。ドイツでの挑戦、J2での経験を積んで、父の願いとともにロシアで羽ばたく時を待つ。日本代表は12日、さいたま市内で16日シンガポール戦へ調整した。

 宇佐美のW杯への挑戦は、ある一言から始まった。「お前はJ2を渡り歩く選手になるんか!」。13年夏、当時所属のホッフェンハイム(ドイツ)から日本へ戻ることになった。帰国した関西空港で、宇佐美は和彦さんから大声で叱られた。順風満帆だったサッカー人生から、現実を突きつけられたドイツ時代。当時J2だったG大阪への復帰は、再び世界を目指すには、厳しいものだった。

 和彦さんは、当時を昨日のことのように振り返る。「ホッフェンハイム戦力外のニュースを携帯で見た時、手が震えた。まさか、あいつが…と」。複雑な思いを全てぶつけてしまった。しかし、宇佐美の決意は固かった。「俺は(古巣G大阪を)J1に上げるつもりで帰ってきたんや」。J2で成長を重ねた。12年のW杯最終予選はピッチを見つめるだけだったが、今度は自分の力でロシアへ導く。

 産声を上げたその時から人生は決まっていた。3人兄弟の末っ子として生まれた。2人の兄にかわいがられ成長し、生後8カ月、歩き始めたと同時に、お気に入りの「黄色と黒のボール」を蹴り始めた。

 しかし、布おむつが重く、擦れてうまく蹴れない。話すことができない宇佐美は、兄のブリーフパンツを指さし「これがはきたい」と駄々をこねた。「サッカーのおかげですぐにおむつが取れた」という和彦さんは「この子はサッカーでプロになる。海外に行く」と感じたという。

 不自由なくサッカーをさせるためなら、大きな決意も簡単にできた。宇佐美が小6時、全国大会へ出場が決定した。ちょうど同じ頃、長男卓也さん(28)もインターハイへ出場することとなった。3人兄弟でひと夏、計10回以上の遠征。家計は一気に圧迫された。愛車「トヨタbB」の約180万残っていたローン返済もできなくなった。結局は愛車を売却した。

 手元には5万円ほどしか残らなかったが「少しでも足しになれば」と、日本一へ挑戦する息子たちの遠征費に充てた。「サッカーのために出て行くお金は苦じゃなかった。だから、苦労したという感覚はない」。子どもの夢を絶ちたくなかった。宇佐美自身にも響いていた。「親が車を売ってまで支えてくれてたのは、小さかったけど分かっていた」。あの時の少年も、23歳。挑戦する時が来た。【取材・構成=小杉舞】

 ◆宇佐美貴史(うさみ・たかし)1992年(平4)5月6日、京都府生まれ。G大阪下部組織から高2時にトップ昇格。11年Bミュンヘン、12年ホッフェンハイム移籍。13年途中から当時J2の古巣G大阪に復帰。国際Aマッチ通算3試合1得点。178センチ、69キロ。