いきなり私事で恐縮ですが、28日に30歳の誕生日を迎えました。私はサッカーどころの静岡で生まれ育ち、幼いころからサッカーが身近な存在でした。そして今もサッカーに関わる仕事ができています。

 日本サッカー界もこの30年間で大きく飛躍したと思います。Jリーグの開幕をきっかけに人気スポーツとなり、日本代表もW杯出場が当たり前の時代に。今では世界トップクラスのクラブで日本人選手が活躍しています。記憶に残る名シーンや名ゴールが数多く生まれました。例を挙げればキリがありませんが、これまでの30年間を簡単に振り返ってみたいと思います。(あくまでも個人的な見解です)。

 86年 私の母校でもある東海大一(現東海大静岡翔洋)が全国高校選手権で初優勝。国見(長崎)との決勝でサントスが芸術的なFKを決めました。今でも語り継がれる「バナナシュート」は当時のサッカー少年なら誰もがマネをしたのではないでしょうか。

 93年5月 Jリーグ開幕。当時はゴールデンタイムでサッカー中継が放映されるほど、爆発的な人気を誇りました。延長戦で決めれば勝敗がつく「Vゴール」も懐かしいです。

 同年10月 日本代表がアジア最終予選イラク戦で後半ロスタイムに失点し、W杯出場を逃す。日本中が落胆した「ドーハの悲劇」は忘れられません。

 96年 02年のW杯が日本と韓国の共同開催になることが決定。

 97年 日本代表がアジア最終予選でイランを下し、W杯初出場(ジョホールバルの歓喜)。「オカノーーー。最後はオカノ」と叫ぶ名実況も生まれました。決勝点のFW岡野が一躍ヒーローとなりましたが、この試合で全3ゴールに絡む活躍を見せたMF中田英寿に憧れました。

 98年 W杯フランス大会で予選リーグ3戦全敗。世界の壁の厚さを思い知らされた大会です。

 同年10月 横浜フリューゲルスがマリノスに吸収合併されることが正式に決まる。その年の天皇杯では決勝で清水を破り、有終の美を飾りました。

 02年 W杯日韓大会でベスト16入り。DF3人を並べる「フラットスリー」が印象的でした。

 06年 W杯ドイツ大会で予選敗退。FW巻誠一郎がサプライズ選出される。ジーコ監督自ら読み上げた代表発表時の「ヤナギサーワ、タマーダ、マキ」という言葉が何度もテレビに映し出されたことの方が記憶に残っています。

 07年 浦和がアジアチャンピオンズリーグ初優勝。真っ赤に染まった埼玉スタジアムは圧巻でした。

 10年 W杯南アフリカ大会で16強入り。応援グッズのブブゼラの音が耳から離れませんでした。

 11年 東日本大震災が起こり、Jリーグは一時中断。全国各地で慈善試合が行われました。中でも日本代表対Jリーグ選抜の試合でキング・カズが決めたゴールは勇気と希望を与えるものだったと思います。

 同年7月 女子日本代表がW杯優勝。なでしこブーム到来です。

 14年 W杯ブラジル大会で予選敗退。ギリシャとの予選リーグ第2戦目のスコアが0-0だったことを覚えている人はいますか? 

 15年 Jリーグの2リーグ制復活。

 振り返れば、日本代表のことが多かった気がします。今後30年で日本サッカーはどのように変化していくのでしょうか。これからも、サッカーの面白さや感動を分かりやすく、熱く伝えられるように日々努力していきたいと思います。

 ◆神谷亮磨(かみや・りょうま)1985年(昭60)8月28日、静岡市清水区生まれ。幼稚園からサッカーを始め、高校は東海大静岡翔洋(旧東海大一)でプレー。08年入社。11、12年はJ2磐田を取材し、今季から清水担当。