J2福岡が11年以来のJ1復帰を果たした。私も博多で生まれた。12月6日に行われたC大阪との昇格プレーオフ決勝は大阪のヤンマースタジアム長居で取材したが、試合前「博多の男なら~、気持ちを見せろ~」のサポーター応援歌に鳥肌が立ったものだ。昇格を決めた瞬間、男泣きした井原正巳監督(48)の姿がまぶたに焼きついている。とにかく、おめでとうと言いたい。そして来季の活躍を大いに期待している。

 またしても私ごとだが、福岡・久留米市に小学生時代から大学の途中まで住んだ。だから、同じ久留米出身で生え抜き11年目のMF城後寿(29)の存在は常に気になっていた。昇格から一夜明けた同7日、練習を取材した。その際、「苦しい思いを経験してきたし、そういうことが少しは報われたのかなと思う」としみじみと語った。今季は人生初の主将としてけん引しただけに、喜びもひとしおだっただろう。普段は寡黙な男だが、笑みを絶やさず冗舌だった。

 城後は、昇格から1年後にJ2に再び降格する屈辱を過去2度も味わっている。06年と11年のことだ。J2の12年シーズンは、チーム最多得点で奮闘しながら22チーム中18位に低迷した。13年には資金繰り悪化による経営難で、J2ライセンスを失う可能性もある危機的状況にも遭遇した。サポーターによる救済の募金活動や企業からの支援で難局を乗り越え、城後は「感謝の気持ちしかない。J1に上がることで恩を返すしかないと常に思っていた」と、今季は背水の覚悟で戦ってきた。

 ここ数年、J1の強豪クラブからオファーを受けるたびに断ってきた。「地元ですし、チームの中で一番アビスパが好きな自信があります。このチームで何かをやりきったかという思いもあり、お世話になってきたチームでやると決めていた」。福岡一筋でがむしゃらに突っ走ってきた。

 今年1月、井原監督から「大きな財産になるから」と主将就任を言い渡され、城後は「やってやるぞ」とがぜん燃えたという。責任感が増した。攻撃的な位置からサイドバックも務める働きでJ1に導いた。来季に向けて「本当の戦いはここから。J1を舞台にいい結果を残し、もっと高いレベルでやっていきたい」と向上心を抱く。大黒柱としての活躍を祈っている。【菊川光一】


 ◆菊川光一(きくかわ・こういち)1968年(昭43)4月14日、福岡市生まれ。福岡大大濠高-西南大卒。93年入社。写真部などを経て現在報道部で主にJリーグ、一般スポーツを担当。プロ野球などのカメラマンも兼務する“二刀流記者”。スポーツ歴は野球、陸上・中長距離。