リオデジャネイロ五輪に出場するU-23(23歳以下)日本代表が、五輪前哨戦となるトゥーロン国際(フランス)から帰国した。

 エース候補のMF南野拓実(21=ザルツブルク)は3試合に出場して1得点。ギニア戦で勝ち越しゴールを奪った。

 かつての恩師は日本から世界で戦う教え子の活躍を見守っていた。C大阪ユース時代に監督を務めていた、J3C大阪U-23の大熊裕司監督(47)だ。現在の南野の姿に「たくましくなっている。顔つきも変わって。強さが出ている」と目尻を下げた。

 当初から負けん気が人一倍強かった。南野が高1の時のこと。大熊監督はあえて注文を付けた。「守備をしなさい」。得点したくて、前へ前へ進むストライカーに大きな壁をぶつけた。大熊監督は「ストレスは感じていたと思う」と振り返る。高1の夏にはとうとう南野のストレスが爆発した。

 「僕は点が取りたい! 試合に勝つために、前(線)で勝負したい!」

 まだ15歳だった南野の心からの叫びだった。大熊監督は理解しつつも、妥協しなかった。南野と向き合い「守備をしなさい」と言い続けた。すると「高1の冬には意識するようになっていた。拓実(南野)は、そういう意識を感じ取る能力が高い。自分のために何が必要か、それを理解している」。

 南野の2度目の心の叫びを聞いたのは14年の冬だった。指揮官はC大阪トップの監督を務めていた。19歳だった教え子をエース候補に指名。J2降格が迫る重圧を、責任を与えていた。しかし、結果チームは降格。オフに南野は海外移籍を決意していた。

 思いを知っていた指揮官は、2人で話し合いの場を持った。「チャレンジしたい」。教え子から告げられた。しかし、大熊監督は「もっと国内で認めてもらってからでもいいだろ」と反対した。「チーム状況もあったし(年齢が)19でしたから。海外に行くのは早い方がいいことは分かっていた。だから心の奥底では『行ってもいい』と思っていた」。数回話し合っても南野の思いは変わらなかった。移籍することをクラブに伝える時、南野は号泣していた。でも、その涙は指揮官には見せなかった。恩師に見せたかったのは、別れの涙ではなく、海外でもまれて強く成長した姿だったからだろう。

 旅立つ時、南野は「目標は2桁得点」と話していた。今シーズンはリーグ戦で10得点。大熊監督は「うれしく思っている」と笑った。次に期待するのは五輪で活躍する姿。「やっぱり点を取って欲しい。よりゴールに近いところでボールを受けて、力を発揮して欲しい」。また1つ成長する姿を、恩師は大阪から見守っている。【小杉舞】


 ◆小杉舞(こすぎ・まい)1990年(平2)6月21日、奈良市生まれ。大阪教育大を経て14年、大阪本社に入社。1年目の同年11月からサッカー担当。今季の担当はG大阪など。悩みは日焼け。