W杯メンバー選考まで残り2戦。本大会出場の23人の座を巡り、チーム内競争はどんどんヒートアップしていく。

 マリ戦は、初招集のFW中島翔哉が得点し、MF三竿健斗も存在感を示した。DF宇賀神友弥がアピールに失敗し、MF大島僚太は負傷してしまった。ピッチに立つ選手、ベンチに座る選手、今回選ばれなかった選手。それぞれ、目指すのは「当選」のはず。時には仲間の不幸が、自分に取って大きなプラスになることもある。

 日本がW杯初出場した98年。当時の岡田武史監督は、22人のエントリーを決めきれず、25人で欧州遠征に出た。エントリー期限ギリギリまで試し、シミュレーションを重ねた。そして大会直前のスイス・ニヨン合宿で三浦知良、北沢豪、市川大祐の3人を外した。

 当時、チームに同行した日本サッカー協会のあるスタッフが振り返る。「カズは精神的な支柱だったし、正直、カズが外れて選手たちが動揺すると心配していた。それまでみんなピリピリしてたからね。でも、実際に最終エントリー22人が決まってから、選手たちは急に明るくなった。選手たちの変貌ぶりに、個人的には少し違和感があった」。カズが外れたことより、自分が生き残ったことの喜びの方が、大きかったようだ。

 そして、マリ戦。最後のワンプレーでゴールを割った中島を、多くの選手が祝福した。負けなかった安堵(あんど)もあり、表情を崩す選手が多かった。個人的に気になったのが、当落線上にいるFW本田圭佑の様子。本田はこれ以上ない最高の笑顔で、中島のもとに駆け寄り、真正面から強く抱いた。

 本田と中島は、プレースタイルこそ違うが、攻撃的な選手で、ポジションがかぶることもある。23人枠を競うライバルに違いない。そんな微妙な関係なのに、この笑顔。何度も映像を見直しても、明るい笑顔だった。98年のW杯メンバー選考を巡る話を聞いていた私は、正直、目を疑った。器が大きいのか、真のリーダーとして成長したのか、それともあきらめたのか、自分は当確と思っているのか。

 いずれにしても、本田は記者として「おもしろい素材」に違いない。【盧載鎭】


 ◆盧載鎭(ノ・ゼジン)1968年9月8日、ソウル生まれ。88年来日し、96年入社。約20年サッカー担当。本田が初めて代表候補合宿に呼ばれた時、取材した記憶がある。