サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」の佐々木則夫監督(57)が、笑顔で“卒業”した。18日、都内のJFAハウスで退任会見に臨んだ。リオデジャネイロ五輪出場は逃したが、これまで培った経験を元に、若年層からの強化を提言する“答辞”を述べた。今後も従来とは違った形で女子サッカー界に寄与していく意向も示した。

 佐々木監督が、なでしこジャパンの未来展望を口にした。「新たな指導者にバトンを渡し、陰ながら応援したい。フランスW杯、東京五輪で活躍できることを間接的なことだったり、遠くのものでもできることがあれば、アドバイスしたい。今後も女子サッカー界に寄与し続けていきたい」。日本は世界ランク4位だが、同20位程度までの力が接近してきた現況にも言及。復権へ、いばらの道が待つ。19年W杯、20年東京五輪に向け「なでしこアドバイザー」となる決意表明でもあった。

 就任当初はアンダー世代の代表も同時に指揮を執りながらDF熊谷、MF阪口、宇津木らを主力に育て、主要国際大会3大会連続決勝進出に導いた。部屋に選手を呼んで対話する時は、必ずドアを開けたままにするなど、独自の配慮も「ノリさん流」だった。だが、12年ロンドン五輪以降は若手との融合に失敗。「トップ(の年代)になってから技術を学ばすのは難しい。ジュニア期から普及も含めて必要。各年代の強化もやってくれていますから、その辺をトップにつなげて」と提言した。次期監督には現U-20(20歳以下)日本代表の高倉麻子監督が有力だが「非常にいい指導者だと僕も思っています」と太鼓判を押した。

 今後は大宮のフロント入りし、男子での新しい挑戦が始まりそうだ。大宮側も女子への継続的な寄与を容認する契約を結ぶ意向。なでしこを日本女子スポーツの象徴的存在に引き上げた功労者は「若干、頼りなさそうな私でしたけれど、よくこれまでついてきてくれたなと。逆に言うと選手たちの包容力、頼もしさを感じながら厳しくもあり、楽しくもあった」。花束を贈られると、肩の荷が下りたような笑顔。10年以上続いた「なでしこ生活」に一区切りをつけた。【鎌田直秀】

 ◆佐々木則夫(ささき・のりお)1958年(昭33)5月24日、山形県尾花沢市生まれ。東京・帝京高で主将として全国総体優勝、選手権4強。明大を経て電電関東(現大宮)入り。91年に現役引退後、NTT関東監督、大宮の強化育成部長とユース監督を歴任。初采配となった08年2月の東アジア選手権で優勝、女子代表史上初の国際タイトルを手にした。通算125試合で80勝16分け29敗。175センチ。家族は夫人と1女。