左足首捻挫で離脱したU-22(22歳以下)日本代表のエースFW永井謙佑(22=名古屋)が、第1戦出場にいちるの望みをかける。同代表は今日19日、ロンドン五輪アジア2次予選でクウェートとホーム(豊田ス)で戦う。18日は試合会場で公式練習を行い、前日17日に故障した永井は全体練習を回避し極秘調整した。先発は難しいが、スーパーサブとしての時間限定出場へ、必死の治療を続けているという。また5大会連続五輪出場へ、選手全員で「勝負パンツ」を用意していることも分かった。

 わずかな可能性がある限り-。強い決意が永井の体を突き動かしていた。

 午前中に左足のMRI(磁気共鳴画像装置)検査を受診した。出血、腫れはなかった。前日から使っていた松葉づえは卒業したが、患部はギプスで固定されたまま。宿舎から会場に向かうバスに、仲間たちと一緒に乗り込むことはできなかった。それでも、体を動かすためにホテル外の別施設に向かった。公式練習の豊田スタジアムから1人離れた場所で、必死に体を動かした。クウェート戦に、1分1秒でも長く出場することを目指して。協会関係者は、「明日の試合に出させるための調整をさせている」と証言した。

 医師の診断は「先発を回避させた方が無難。あとは関塚監督の判断次第」というものだった。本来は試合に出ることは難しい状態にある。だが、クウェート戦で、もしチームが引き分けか、負けている状況に追いこまれていたら…。出場に意欲を見せている最悪のシチュエーションを想定すれば、自然と体は動いた。

 前日の練習中に左足首を痛めた。昨年の関塚ジャパン発足以降、国際試合では12戦8発。金メダルに輝いた10年アジア大会では6戦5発で得点王も獲得。傑出した得点能力は、チーム最大の武器。欠くことができない絶対的エースのアクシデントに、チームにも動揺が走っていた。

 2次予選はホームアンドアウェーの一発勝負で、最終予選進出が決まる。ホームでは引き分けでも苦しい。もし2試合で敗退が決まれば、59年12月に韓国と2試合で競われた、翌年のローマ五輪の予選以来。約50年ぶりの日本サッカー界の汚点となる。前大会の北京五輪代表が、昨年のW杯南アフリカ大会の中心メンバーを担ったように、五輪で戦う経験が、日本の未来を明るく照らす。絶対に負けるわけにはいかない。

 前日から「何とか出られると思います」と第1戦出場に意欲を見せていた。関塚監督は公式会見で「今の状態では判断できない。明日の状態をみて決めたい」と試合直前まで回復を待つ意志を固めた。満身創痍(そうい)…。それでも、自分にかかる周囲の期待はわかっている。外は、湿った梅雨の空気が満ちる。反対の澄み切った使命感に満ちた五輪世代のエースが、必死の調整を続ける。【阿部健吾】