プレーバック日刊スポーツ! 過去の5月16日付紙面を振り返ります。1993年の1面(東京版)はプロサッカーのJリーグが開幕。横浜マリノスが歴史的初勝利を挙げたことでした。

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<横浜M2-1川崎>◇1993年5月15日◇国立競技場◇

 横浜マリノスが歴史の一ページを開いた。日本スポーツ界に新たな時代を築くJリーグ。初白星は、横浜Mがヴェルディ川崎を2-1と下して手にした。マイヤー(31)に先制点を奪われた横浜Mは、エバートン(33)が同点ゴール。日本サッカー界を引っ張ってきた木村和司(34)と水沼貴史(32)のベテランコンビがつくったチャンスを、大物助っ人ディアス(33)が決めて、逆転した。

 日本サッカーに新しい歴史を刻む90分間の戦いが終わった。二度とない栄光を手にしたのは、横浜マリノスの11人だ。勝利した横浜Mの選手たちが、大きく両手を突き上げた。木村和が、水沼が、ディアスが、エバートンが、大歓声を受けてカクテル光線に輝いた。

 「5・15」。この日のために、この一勝のために、かけてきた男たちが、勝利の喜びを日本中に示した。人気1番のヴェルディ川崎を倒し、たった一度しかない開幕勝利を挙げ、強さを誇示した。木村和が、声にならない声で言った。「うれしくて、うれしくて、こんなにうれしいことはない。幸せだよ」。

1点を先制されても、焦りはなかった。「絶対に点は取れる。積極的にいけ」。清水秀彦監督(38)のゲキに乗って迎えた後半。選手の動きは一変した。立ち上がり3分、木村和の意表をつく左ショートCKから、パスを受けたエバートンが同点ゴールを決めた。「いいパスをもらった瞬間に、ゴールへの道が見えた」と話した。

 「逆転できるという自信はあった」と水沼は話した。14分、その水沼が木村和との黄金コンビでチャンスをつくる。木村和が川崎DFと競ったヘディングのボールは、ピタリと水沼の足元に落ちた。トップスピードに乗って、DFを振り切る。今年の天皇杯も制した木村和-水沼の66歳ラインは、Jリーグでも健在。「自分で決めたい」と、水沼は強烈シュートを打った。

 川崎GK菊池新の好守にあったが、こぼれた所に新外国人のディアスがいた。ディアスは落ち着いて無人のゴールに押し込んだ。国立競技場は、14年前のワールドユース大会でアルゼンチン代表の一員として世界一に輝いた場所。「国立は幸運を運んでくれるスタジアムだね」。笑顔で話した。

 2ゴールともきっかけをつくった木村和も、12年前に明大を卒業した時は、日産(現横浜M)か読売(現川崎)かで進路を迷った。当時、すでに川崎は全員がプロ契約。「結婚も控えていたし、社宅もある日産にしたんだ」と笑う。しかし、「サッカーに専念したい」と、3年後にはチーム初のプロ契約選手になった。そして、1986年(昭61)には奥寺康彦氏(現市原ゼネラルマネジャー)とともに、日本協会プロ登録選手第1号になった。

 プロになるには悩みに悩んだ。祐子夫人(34)には、「もしもサッカーがだめになったら、おれが家事をするから、働いてくれ」とまで頼んだ。「プロは厳しいよ。サッカーで生活しているんだから」。オフの間の走り込みは、年々増えた。「Jリーグまではやりたかったからね。ここでやめたら、一生悔いが残る」と話していた。

昨年は外国人選手獲得を逃し、ほとんど日本人だけで戦わなければならなかった。「今年は我慢の時。今、日本人のレベルを上げておいて、来年の外国人獲得で勝負する」と、清水監督は話していたものだ。言葉通り、日本人がレベルアップ。ディアス、ビスコンティの加入で「優勝目指して」戦力もアップした。

 「いい試合ができて、勝ててよかったよ。この一勝は大きい」と、清水監督は話した。日本サッカーの新しい歴史はこれから始まる。横浜Mの目指すのは世界。新時代の夜明けは、世界への飛翔(しょう)の始まりでもある。